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第一話 4 巨擘 

ユニが部屋に食卓を運びこむと、横になっていたユンシクが身体を起こした。傍らでは母が針仕事をしている。
壁際に山と積まれた反物が仕事の多さを物語ってはいたが、どんなに母が夜なべをし、多くの仕事をこなしても、それがいくらにもならないことをユニは知っている。

「ゆっくり食べてね、ユンシク。お母様も、冷めないうちに食べて」

 ユニは努めて明るくそう言ったのだが、昼間のことがまだ尾を引いているのだろう、彼女を見つめる母と弟の目は沈んだままだ。

「姉さんは?」
「大丈夫。市場で食べてきたから、もう見るのもウンザリ」
「ユニや」
「仕事が山ほど入ったの。貰冊房で筆写をしたら、1年分を前払いでくれるって。ユンシクの薬代はこれでまかなえるわ」

 母にしゃべらせまいと言葉を継ぐのは、ユニなりの防衛本能だ。見通しは確かに暗い。家族三人、この先どうなるのかさっぱりわからない。でもだからといって、母の繰り言や自分に対する詫びの言葉など聞きたくはなかった。
 今だって必死で踏ん張っているのに、母にそんなことを聞かされたら、本当に心が折れてしまいそうで、怖かった。

「本当に?」
 
 ユンシクが少し安心したように、姉を見る。ユニは殊更笑顔で頷いた。だが母の表情は晴れない。

「だからお金の心配はしないで」

ユニは匙を取り、いつまでも食事に手をつけようとしない母にそれを握らせる。痩せて骨ばった手を握りしめ、彼女は力強く言った。

「私が、ちゃんと解決してみせるから」

 
 翌朝まだ早い時間に、貰冊房を訪れる男装のユニの姿があった。踏み台の上で書棚の整理をしていたファンは、この聡明で綺麗な若様がついに腹を括ったことを敏感に感じ取った。森の中、追い詰められた鹿が同じ目をしていたことを思い出したのだ。

「やってみるよ、巨擘。科挙の答案を、ぼくが書けばいいんだろ?」
「若様!」

ファンの顔が、たちまち喜色に染まる。

「10倍の稼ぎだろうが、100倍の稼ぎだろうが───とにかく、やってみる」


 官僚の登用試験である科挙は、3年に一度行われ、小科と、その上級試験である大科に分けられる。高級官僚を目指す者がまず最初に受験する小科は更に一次試験の初試と、二次試験の覆試があり、それぞれ生員試と進士試の二種目があった。

 その日の小科初試の試験会場は、成均館の敷地内にある丕闡堂前庭だった。孔子、孟子を祀る大成殿では、学生会長であるハ・インス掌議の元、儒生たちが一同に会し、拝礼行事が厳かに執り行なわれていた。

「先賢に申し上げます。これから成均館が新入生を迎えます。善良で賢明な後輩たちをお授けになり、国の安寧と民の平安をお守りください」

 深々と頭を下げ、祈りを捧げるインスに合わせ、儒生たちも一斉に頭を垂れた。
 
 一方、そんな厳粛な大成殿とは打って変わって、試験場である丕闡堂前の通りはお祭り騒ぎだった。何しろ、3年に一度しかやってこない一大行事。出世街道の通行手形を手に入れるため、朝鮮全土から受験生が集まってくるのだ。しかも彼ら一人一人に、答案を代筆する巨擘、清書担当の写手、場所取り役などがくっついて来ているため、群衆は実際の受験生の数の何倍にも膨れ上がっていた。
 ユニは人でごった返す通りを見ただけで腰が引けたが、こっそりついてきたファンに肩を叩かれ、勇気を振り絞った。

「芸はクマが演じ」
 
 ユニが低くつぶやく。すかさず、ファンがそれに答えた。

「金はワン殿(中国人の別称)が受け取る」

 雇い主を見分けるための秘密の暗号だ。ユニは不安を隠し切れず、ファンにもう一度確かめた。

「こう言えば、本当に分かる?」
「大丈夫ですってば。座席表と人相書きはお持ちで?」
 
 緊張した面持ちで、ユニはこくこくと頷く。

「依頼人を見つけて、実力さえ発揮すれば今日の仕事は終わり!簡単ですよ」
「ほんとに、大丈夫かな」
「やっぱり良心が咎めるとか、そういうことですか?」

 小さく頷くと、ファンは大げさなため息をついた。

「いいですか、若様。近頃の科挙の結果を左右するのは、学力より財力ですよ」

つまり貰冊房の主人の理想の世は確立しつつあるわけだ。いったい彼は今までどれだけの学士を、この道に引きずり込んできたのだろう。

「ホントにホントに、大丈夫なんだな?」
「もしバレたら、罰を受けるかってことですか?」

ファンは元から細い目を更に糸のように細めて、恐ろしいことを口にした。

「バレたら、良くて棒叩き100回、運が悪けりゃ、ムチ打ち200回───」

 ユニの全身から血の気が引いた。ファンはそんな彼女にちらりと視線を投げてから、商人特有の、あのやたらと愛想のいい笑顔で言った。

「というのは昔の話です。今の役人たちだって、同じ手を使って今の職にありついてるんですから、そうそう酷い目にはあいやしませんよ」

疎らにシミの浮いた手を口元にあて、ユニの耳に囁く。

「試験場の中は、想像を絶する世界ですよ」


 ファンの言葉は嘘ではなかった。試験場といえば、受験生たちが一糸乱れず端座する中を、いかめしい顔をした文官がゆっくりと監視するように歩いている、そんなしんとした緊張感漂う場所を想像していたのだが、とんでもない。想像とはかけ離れた騒ぎが、そこでは繰り広げられていた。
 
 場所取りの者たちが互いに譲らず、主人そっちのけで口汚く罵り合っているわ、試験官との人目もはばからぬ賄賂の受け渡しが行われているわ、合格祈願とか何とか、怪しげな口上でうろつく飴売りはいるわ…
 これでは、塀の向こうにある繁華街と少しも変わらないではないか。
 
 しばらく呆気に取られて目の前の光景を眺めていたユニだったが、却って落ち着いてきた。ここが雲従街の市場通りだと思えば、小さい頃から慣れた場所だ。臆することは何もない。
 
 ユニは袂から座席表を取り出し、雇い主の席を確認した。正面から数えて3番目、手前から9列目だ。
 見ると、該当の席に青い快子(ケジャ)を着た男が座っている。
 いた。あれがきっとワン殿だ。人相書きを広げた。絵を見る限りでは、そう年をとっているわけでもなさそうだ。
 
 その時、一陣の風が吹いた。
 
 試験場に、白い砂埃が舞い上がる。
 
 一人静かに墨を摺っていたワン殿が、砂粒を避けてユニの方に顔を向けた。風が治まり、閉じていたワン殿の眼瞼がゆっくりと開く。伏し目がちなその視線と、頬の怜悧な稜線に、ユニは一瞬、目を奪われた。
 
 もう一度、手元の人相書きに目を落とす。あまり似ているとも思えないが、人相書きなんてそんなものだ。ある程度の年齢と、顔の特徴さえわかれば、それでいい。

 ユニはこの仕事を8割方終わらせた気分で、ワン殿に接近を試みようとしていた。



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2011/07/20 Wed. 09:47 [edit]

category: 第一話

thread: 二次創作:小説 - janre: 小説・文学

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コメント

Re: ちびたさま

>『芸はクマが演じ、金はワン殿(中国人の別称)が受け取る』というのは、日本のことわざみたいによく知られている言葉なんでしょうかね??

ワタシもこれ書く時、ネットでけっこう調べてみたんですが、これといって見当たらず、でした。
でも合言葉に使うくらいだから、ホントの諺とか慣用句が別にあって、それとはわざと違わせてるかもですね。
禁書の受け渡しのときの合言葉も、確かそんなだったような気がします。

あまる #- | URL
2012/05/02 05:32 | edit

あまるさま

とうとう危ない橋を渡る事になっちゃいましたねー

自分の信念より命より、母と弟が大事というこのあたり、辛かったろうなーと思うと泣けました(馬鹿)

と、ここでひとつ疑問が・・・
『芸はクマが演じ、金はワン殿(中国人の別称)が受け取る』というのは、日本のことわざみたいによく知られている言葉なんでしょうかね??
なんか、気になって気になって。(やっぱり馬鹿)

ちびた #D4zl0nFc | URL
2012/05/01 12:21 | edit

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