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第四話 1 警戒 

 中二房にソンジュンはいなかった。笠が置いてあるから、成均館の外へ出たわけでもなさそうだ。なら、彼が行きそうなところといえばあそこしかない。
 ユニはまた縁側に出て靴を履くと、東斎を出た。
 
 尊経閣は、前にここへ来たときとは違い、静まり返っていた。こんな早い時間からここへくる儒生もそうはいないらしい。そのせいか、墨の匂いが濃く漂っている。
 少し奥へ入ると、その姿はすぐに見つかった。書架に向かって立ち、手にした本にじっと見入っている背の高い人影。
 近くまで行くと、彼は書物に目を落としたまま、言った。

「意外と真面目なんだな。初講義のための予習に来たのか?」

 どう言おうかとしばらく逡巡したユニだったが。

「あの約束、まだ有効かな?」

 ソンジュンが本を書架に戻し、ユニを見た。

「新榜礼で、ぼくに借りがあるだろ。願いを聞くって約束だ」
「約束したことは何であれ、守る」

 願いがあるなら言ってくれ。彼の目が、ユニにそう語りかける。それに勇気を得て、彼女は切り出した。
 
「西斎に移って」

 じっとユニに注がれていたソンジュンの目が、僅かに見開かれた。それを見ていられずに、ユニは彼の肩のあたりに視線を移した。

「約束を、守ってくれるんだろう?イ・ソンジュン。西斎に……移って欲しいんだ」
「その話ならもう済んだはずだ」
「君が西斎に移らない限り、終わりはしないよ。掌議ハ・インスは……恐ろしい男だ。思ってたよりずっと。あいつと対立してまで、守らなきゃならない原則って、いったい何だよ?」

 しばしの沈黙があった。ソンジュンはユニに向き直ると、静かに言った。

「君に訊きたい。僕はただ単に、原則を守ろうとしているだけだ。───それは間違ってるか?」

 咄嗟に答えられないユニに、彼は畳み掛けるように続ける。

「せめて成均館の中では、党派での区別はしたくない。それが間違いか?何の疑問も持たず、多勢におもねるのが正しいことだと……本当にそう思うか?」

 ソンジュンの声には、真摯な響きがあった。ユニを責めているのでも、持論を展開しようとしているのでもない。ただ、答えを求めているのだ。彼が知りたいことへの答えを。だが。

「───掌議も他の儒生たちも、君の正論に関心なんか持ってない」

 そんな、はぐらかした返事しかできなかった。ソンジュンがそれで納得するはずもないのは承知の上だ。彼は一歩、ユニに近づいた。

「彼等にどう思われようが、関係ない。そんなのは慣れてる。僕が知りたいのは」

 少しの間のあと、彼は言った。

「キム・ユンシク、君の考えだ」

 胸を突かれた。
 本当はわかってる。彼は何も間違ってはいない。
 
 彼の考えを、行動を、融通がきかないとか世間知らずだとかで片付けて、一蹴するのは簡単だ。でも心の何処かで、イ・ソンジュンという男の存在を、暗い森の中に灯る、たった一つの灯火みたいに思っている自分がいる。
 
広がる闇は深すぎて、出口は何処にも見つからなくて、こんな小さな灯火など何の役にも立たない、そう思う一方で、この光が消えたときの更に深い闇を思うと、絶対に吹き消すことができない───。

 彼は、理想そのものなのだ。誰もが胸に抱きながら、決して手の届かないところにある理想。
手に入れることができないからせめて、夢だ戯言だと難癖をつけて、自分を慰めようとする。彼といるといつも腹立たしさを感じてしまうのはそのせいだ。普段は見ないようにしている己の中の矛盾や、意気地の無さ、胡麻化しと、嫌でも向き合わなくてはならなくなる。
 
 ユニは、乾いた唇を開いた。

「悪いけどぼくは……大科にも出仕にも、興味なんてない。ぼくの望みはただ、ここでの修学を無事に終えたい。それだけなんだ。だから君が……約束を守ってくれると、信じたい」

 声が震えるのを悟られないようにするのが精一杯だった。
 ユニは、ソンジュンの顔も見ずに、逃げるように尊経閣を出た。


「朝報〈チョボ〉でーす!」

 尊経閣前の中庭では、斎直たちがぱたぱたと走り回りながら何やら配っている。中の一人がユニを見つけて、走り寄ってきた。

「昨夜、紅壁書が現れたそうです!」

 そう言って、今朝発行されたばかりの朝報を手渡す。

「紅壁書?」

 記事にざっと目を通したユニは、昨夜拾った壁書に書かれていたのと同じ単語を、そこに見つけた。

「金縢之詞……」

 同時に思い出したのは、あのとき突然空から降ってきた黒装束の男だ。彼は官軍に追われていた。
 いとも簡単に軒下に張り付くあの身軽さ。あっという間に姿を消した、あの素早さ。単なる賊とは思えなかった。

「奴が……紅壁書だったんだ……」


* * *


「金縢之詞か」

 王宮の謁見室。官服に身を包んだ高級官僚たちがずらりと居並ぶ中、王が、手にした赤い壁書に眼鏡の奥の目を走らせた。やがて、低く呟くような声がそれを読み上げる。

「先王の遺志を盗みし者は、倫理なき臣下なり。血に染まりし真実を見ぬ者は、卑怯なる君主なり……」

 広く天井の高い謁見室では、王の声はよく響き、更に威圧感を増す。この景福宮の建立に携わった職人たちの腕を、御前に控える官僚たちは皆恨めしく思わずにはいられなかった。今日このときばかりは。

 玉座の王は壁書を置き、臣下を見渡した。

「そなたら、金縢之詞について、何か知っておるか?」
「恐れながら、何のことやら……」

 すかさず口を開いた兵曹判書ハ・ウギュを、イ・ジョンムが軽い咳払いで制する。低頭したまま、彼は予め準備していたかのような台詞を、よどみなく述べた。

「陛下ですらご存知ない先王のご遺志を、我ら臣下がどうして知り得ましょう。何卒お咎めなきよう、お願い申し上げるのみにございます」

 王は眼鏡をとり、言った。

「真実から目を逸らす卑怯な王と指さされたは余である。そなたらを咎めることなどできようか。早急に紅壁書を捕らえよ。さすれば、真相も明らかとなろう」

 「どうかな?左議政」と訊ねる王の口元には、微かな笑みが浮かんでいる。左議政は無言のまま、静かに頭を垂れた。

 
 司憲府の反応は迅速だった。王の謁見から数刻もたたないうちに、町のあちこちに紅壁書の人相書きが貼り出され、人々の関心を引いた。都の各出入り口には検問所が設けられ、そこを行き交う民は皆、顔や持ち物、身元を検められた。

 その様子を見つめる兵曹判書の表情には、明らかな焦りの色が浮かんでいる。彼は傍らの官軍隊長に向かい、眉尻を釣り上げて言った。

「何としても紅壁書を捕らえるのだ。万が一にも、王の護衛軍に先を越されるようなことがあれば、貴様の命は無いと思え!」

 はっ、と短く答える官軍隊長の強張った顔を忌々しげに見ながら、兵曹判書は昨晩の失態に頬を歪めた。彼にとって恐ろしいのは王よりもむしろ左議政だ。老論の長の怒りを買うことは、この朝鮮では虎の尾を踏むことに等しい。

「奴が泮村で姿を消したのがどうも引っ掛かる……。成均館も含めて、警戒を怠るな!」


* * *


 荒い手つきで戸棚を開け、酒瓶と肴の入った箱を引っ張り出す。この部屋の主は大概気に入らないが、こうやって棚を開ければ何かしら食い物にありつけるのだけはありがたい。
 
 ジェシンがどかりと床に腰を下ろし、酒瓶の栓を抜こうとすると、その腕をはっしと掴んで阻む手があった。

「コラ待て!お前、熱でもあるのか?」

 そう言って、額やら首筋やらをぺたぺたと触られるのが鬱陶しく、ジェシンはヨンハの手を払いのけた。

「だって、そうでなきゃあり得ないだろう?老論て言葉を聞くのすら嫌がるムン・ジェシンが、よりによってその長の息子イ・ソンジュンと熱い一夜を過ごした、なんて。おかしい。絶対におかしい!」

 そういやそうだな、と、ジェシンは昨夜のイ・ソンジュンとかいう新入生の顔を思い浮かべた。それだけで、胸がムカムカするのは他の老論たちと何ら変わらない。熱い一夜、なんてヨンハの言葉を肯定するつもりは断じてないが、よくも一晩同じ部屋で寝られたものだと我ながら不思議に思ってしまう。

「何故だ?」

 ジェシンが酒瓶を咥えようとした手を再び阻んで、ヨンハは訊ねた。

「どうして、奴だけは別なんだ?」
「何をわけのわからんことを……」

 一口、酒を含んだ。こんな風に、いくら呑んでも少しも酔えなくなってしまったのはいつからだろう。喉を通ってゆく感触も、以前とは違い、まるで水みたいに味気ない。ジェシンは言った。

「試すんだよ。あの野郎が、俺と同じ部屋でどこまで耐えられるか───試してやる」

 実際のところ、昨夜のジェシンは疲れていたのだ。成均館の外でひと暴れして、戻ってみたら会ったこともない新入生が二人も部屋を占領していて。それでも、いつもならちょっと睨んでやるだけで簡単に追い出せたはずだ。が、そうはいかなかった。

 あんな、いかにも坊ちゃん然としたお綺麗な顔をしているくせに、少しも怯むことなく言い返してきた。おそらくあれは、相当な頑固者だ。でなきゃ、老論なのに東斎に来るなんて馬鹿なことをするはずがない。
 しなくてもいい苦労をわざわざ自ら背負い込んで、自己陶酔でもしたいのか、それとも何か別の理由があるのか。
 真意はわからないが、昨夜は、そういう頑固者をしつこく相手にするより、とっとと横になる方を選んでしまった。要するに、面倒臭くなってしまったわけだ。
 
 ある意味、ジェシンはソンジュンに根負けしてしまったとも言える。それを認めるのも何だか癪に触って、ジェシンは酒をあおった。あの真面目くさった顔。やっぱり胸クソ悪い。

「そうだ!じゃ、キム・ユンシクは?お前、平気だったのか?」
「何が」
「昨夜だよ。出なかったか?あれ」

 そう言って、ヨンハはひっく、としゃっくりの真似をしてみせる。

「何のことだ」
「お前は女が近くにいると必ずしゃっくりが止まらなくなるだろ」
「バカ言え。ここは成均館だ。女の“お”の字もお目にかかれない、成均館だぞ」

 ヨンハは はぁと息を吐き出し、何か腑に落ちないといった表情で首を捻っている。
 いつものことだが、この幼馴染みの言うことはさっぱり意味がわからない。そういえばもう一人の新入生、キム・ユンシクといったか。あのチビは確かに女みたいな顔をしていたが、だからといってそんなのにまで反応していたら、まるで阿呆じゃないか。こっちの身だってもたない。

 酒瓶に口をつけようとしたジェシンの手を、またしてもヨンハが止める。

「もうやめとけ。これから講義だ」

 振り払おうとするが、意外にも強い力で阻まれた。

「忘れたか?今度落第したら退学だぞ」

 声の調子が変わった。見ると、ヨンハの目に彼らしからぬ強い光が宿っている。

「───そんなことはこの俺が、絶対に許さない」

 ジェシンは知っていた。こういうときのヨンハには、逆らっても無駄だ。腐れ縁とはいえ、十数年も付き合っていれば、そのくらいは学習する。

「……お前って」

 軽く口の端を上げて、ジェシンは言った。

「そういうマジな顔、ぜんっぜん似合わねぇ」

 ヨンハは掴んでいた手を離すと、ころりと表情を変え、「あ、やっぱりぃ?」と笑った。




**********************************************************
あまるですどうもこんにちわ。

こんなところでナンですが、拍手コメくださったRさま、ありがとうです(^^)
原作には原作の、ドラマにはドラマの楽しみ方があるっていうのが、ソンスのスバラシイところですよね!
むしろ変に原作どおりにしようっていう気負いが始めからないから、原作のファンにも受け入れられてるのかも。
日本の、特に漫画を原作にしたドラマなんかは、けっこう目も当てられない状態になってるやつが多々ありますが。(イケパラとかイケパラとかイケパラとか……)
花男は、まあ許してやろう。類が男前だから←(何様)




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2011/10/03 Mon. 13:07 [edit]

category: 第四話

thread: 二次創作:小説 - janre: 小説・文学

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コメント

Re: びわさま

わはは~(笑)
ソンジュンとかコロのキャスティングはともかく、

> ヨリム…黒岩先生

これ↑かなりウケてしまったww
トーマの心臓ではワタシもキャラはめしてみましたけど、
ガラかめでは思いつかなかったデス(笑)
いやいや、笑かしていただきました~。

あまる #- | URL
2013/07/09 03:50 | edit

コメントに反応しました(^_^;)

いや〜ん、皆さん同世代…ツボに入りっぷりがとてもよく分かります!
ガラカメが出てきたので、ふとガラカメキャラでソンスを置き換えてみたり…

ユニ…マヤ
ソンジュン…速水真澄
ソンジュン父…真澄父
芙蓉花…鷹宮紫織
コロ先輩…桜小路くん
ヨリム…黒岩先生
王様…月影先生

コロ患いな私にとっては、速水真澄=コロ先輩なんですが(´ω`)ノ
そしたらヨリム役は水城さんか聖さんになるんですけどね〜
いっそ、ガラスの仮面の中で、劇中劇でやってくれないかな〜
ユニ役マヤ、ソンジュン役桜小路くんで、
その劇を見る速水真澄が、
「マヤ…おまえのソンジュンはこの俺なんだ…!」とか言う(v´∀`)ハ(´∀`v)

すみません、妄想が大暴走中です…

びわ #p6hXJKzs | URL
2013/07/08 22:09 | edit

Re: わたしもー!

あらーちびたさんももしかして同年代?(喜)

清水玲子はワタシも大好きです~(^^)美しーソンジュンになりそうだあぁ~
コロとヨリムの接点かぁ~うーん。そっちもちょっと考えてみよっかな……

あまる #- | URL
2012/05/10 21:04 | edit

わたしもー!

あああ!私のわかる話題が!
全部わかりますわ、ガラスの仮面も王家の紋章も。。
きっと私も同じ年代ー

私はなんて素敵にジャパネスクのテレビの鷹男の中村トオルにラブでした(わかる人にはわかる)
ちなみに、ガラスの仮面、連載再開してまっす。
もうねー、イ・ソンジュン並に速水真澄が暴走してます!

ちなみにこれを漫画にしてもらうなら・・・・清水玲子せんせーかよしながふみせんせーにお願いしたい。

うーん、突っ込みどころは満載なんだけど、何よりどうしてコロ先輩とヨリム先輩はどこをどうやって幼馴染になったのかしら??なぞ??

ちびた #- | URL
2012/05/09 22:15 | edit

笑うミカエル……

も、そういえばドラマになってなかったですっけ?
白泉社系ならどんと来いですワ!(笑)
ピチピチ(死語)の高校生だった当時は成田美名子とか青池保子とかあのへん読んでたよ~
ニジンスキーの真似とかよくやってたな~<ヒース私を見て……プルプル
今思うと底なしのアホだ……(-_-)

脱線?ってダメなの?(笑)てか家主が自ら脱線しまくっとりますが……。他所様はともかくワタクシはそのへん全くノープロブレムです(^^)
成均館以外の話題でもすーぐ釣られまくる人間ですので、どうぞお気になさらず~

あまる #- | URL
2011/10/09 00:38 | edit

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

# | 
2011/10/08 21:29 | edit

ガラかめ……

47刊が最新刊なのかな?もう30年くらい連載してるってどんなんよ(^^ゞ
そしてまだ終わる気配なし……
王家の紋章もいったいいつまで攫われ助けられを繰り返すんだキャロル!お前はピーチ姫か!(爆)
びっくりするのは美内すずえも細川智恵子もほとんど絵のタッチとか昔と変わんないんですよね~。あれはある意味スゴイ。

なんかさらっとバレちゃいましたが(笑)みずたまさんとはおそらく同世代ですよ~。
ピンクレディーフルで踊れる世代とも言う……

あまる #- | URL
2011/10/05 01:29 | edit

ひゃひゃ~

わかる~www
見てたっ☆
あまるさんこの路線でも話あいそ~☆
世代一緒?だ~♡
月影千草・・・あれ?ガラスのカメは今何巻?
王家の紋章とともにワタシの中ではすでに迷宮入りです・・・( ..)φメモメモ

みずたま #- | URL
2011/10/03 23:27 | edit

Re: みずたまさま

ガラスの仮面……ブフッ^m^
しかしあの月影先生はハマり過ぎてて笑いましたが~

更に余談ですが、ワタシはヤヌスの鏡が好きでした(爆)
けっこーシリアスなドラマだったのに毎回ゲラゲラ笑いながら見てた気が(^^ゞ

あまる #- | URL
2011/10/03 23:13 | edit

ハロ~☆

わかる~w(ガラスの仮面とかガラスの仮面とか)
成均館の漫画化・・・でも見てみたい気がする~☆
ドラマで表現しきれず 原作でも表現しきれず・・をナイスフォローしてくれるならオールOKさっ!

余談ですが 昔なんて素敵にジャパネスクのドラマやハイカラさんが通るなどありましたね~(笑)
あの頃はテレビ楽しかったのに~と思う ワタシです・・・ふぅ~


みずたま #- | URL
2011/10/03 14:19 | edit

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