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第三話 3 紅壁書 

 兵曹判書ハ・ウギュは輿に揺られながら、先程牡丹閣で見た儒生のことを考えていた。
 あの顔、やはりどこかで見た覚えがある。このままではどうにも気が済まない。
 彼は手を上げ、官軍の隊列を止めた。

「牡丹閣へ戻る」

 官軍隊長が は、と短く答え、合図する。輿持ちが向きを変えようとした、そのとき。

「大監、あれを!」

 官軍の列から、声が上がった。見ると、月が煌々と照らしだす夜空に、無数の紙片がひらひらと舞っている。
 官軍隊長が腰の刀剣を引き抜き、吠えた。

「紅壁書〈ホンビョクソ〉だ!追え!」


 立ち並ぶ民家の屋根を、鼠のような素早さで走り抜ける影があった。途切れた瓦屋根を飛び越えるほんの一瞬、濃紺の夜空を背景に月明かりがその輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。手には弓、背中には矢筒を背負い、全身黒ずくめだ。頭から被った頭巾で顔の殆どを隠しているので、その男を伺い知れる唯一のものは、隙間から見える鋭い眼光だけだった。

 男は雲従街の大通りまで来ると、背中の矢を引き抜き、弓を構えた。夜のしじまを切って放たれた矢は、空中で音を立てて弾け、真っ赤に染められた紙片をまき散らした。男が紅壁書と呼ばれる所以だ。

 赤い壁書は家路を急ぐ町民たちの上に降り注ぎ、否応なく彼等の注意を惹く。その赤い壁書を手にした者は皆、そこに書かれた見事な文章と共に、政治の腐敗や官僚たちの無能ぶり、国の窮状を知ることになるのだ。

「いたぞ!撃て!」

 兵曹判書の屋敷近くの屋根に、官軍隊長が敵の姿を発見した。その号令一下、いくつもの銃口が次々と紅壁書に向かい火を噴く。彼は慣れた動きで弾を掻い潜ると、再び、夜の帳の中に姿を消した。

「絶対に取り逃がすな!反対側から取り囲め!」

 兵曹から連絡を受けた兵士たちが合流し、あたり一帯は ますます騒然となった。



 同じ頃、ユニはといえば。
 チョソンから贈られた絹の下着を大事に胸に抱え、成均館への道を急いでいた。
 その足に、風に煽られた赤い紙がぴたりと張り付く。何気なく手に取り、そこに記された文面を見たユニは、ある単語に目を留め、呟いた。

「金縢之詞〈クムドゥンジサ〉……?」

 金縢之詞といえば、『書経』にある、大切に保管された文書を指す言葉だ。そんなものが、今の政治や民の困窮にどう関係するというのだろう。文体は素晴らしいが、意味がよく掴めない。
 首を傾げながら歩いているといきなり、その行く手を阻まれ、ユニは腰を抜かしそうになった。空から音もなく人が降ってきて、ユニの目の前に降り立ったのだ。

 はらりと、ユニの手から赤い壁書が滑り落ちる。登場の仕方にも驚いたが、問題はその人物の姿だった。黒装束に覆面。少なくとも、飲み屋帰りの一般市民がしている格好ではない。泥棒か、あるいは───

「追えーっ!」

 無数の足音とともに、響き渡る声。黒装束の男は地面を蹴ると、煙のようにユニの頭上に消えた。
 一つ向こうの角から、官軍がどっと走り出てくる。一人が立ち止まり、怪しい者を見なかったかと尋ねた。ユニはほとんど反射的に、見てない、と答えた。考えるより先に、口が動いてしまったのだ。幸い、官軍はそれ以上追求せず、来たときと同じように走り去っていった。

 通りの向こうに官軍の一団が見えなくなるのを確かめてから、ユニは改めて頭上を見上げた。そこには、いったいどうしたらそんなことができるのか、先程の黒装束の男が、民家の軒下に蜘蛛のように張り付いていた。

 男はさっと身体を折ってユニの前に降り立つと、軽く右手を挙げて、走り去っていった。瞬きするほどの出来事だった。男は、ユニに礼を言ったのだ。そう気付いたのは、通りから男の姿が消え、しばらく経ってからのことだった。




「奴を取り逃がしただと?数十人も雁首揃えて、曲者一人捕らえられんとは、貴様らそれでも官軍か?!」

 兵曹判書宅の中庭では、ハ・ウギュがこめかみに青筋を浮き上がらせ、部下を前に声を荒げていた。

「そ、それが、奴が泮村に入り込んだので、それ以上は追えず……申し訳ありません」

 うなだれていた官軍隊長がそれだけ言うと、兵曹判書は歩き回っていた足をぴたりと止めた。

「泮村?」

 成均館のある泮村は、いわば治外法権が認められている地区だ。いかな官軍といえど、王の許可なしにおいそれと踏み込める場所ではない。
 そこに紅壁書が逃げ込んだとなれば───。

兵曹判書は押し黙り、白髪混じりの眉を微かに上げた。


* * *

「───ということは、紅壁書は成均館に関係のある人物なのか?」

 煙草の葉を紙で器用に巻きながら、王正祖は淡々と言った。
 最近遠視の進んできた王は、細かい作業をするとき、職人に特別に作らせた眼鏡を掛ける。そこまでせずとも、煙草くらい内侍にでも命じて作らせればいいのに、と傍に控える領議政チェ・ジェゴンは思うのだが、こうして実際に王が煙草を巻く手元を見ていると、何も言えなくなってしまう。
 王の作業はそれほどに厳粛で、犯しがたい静けさに満ちていた。

「それは、まだわかりません。泮村は、官軍が立ち入ることのできぬ地域。単に、官軍を避けるために逃げ込んだとも考えられます」
「治外法権を利用し、隠れ場所にしている可能性もある、というのだな」

 さようにございます、と面を伏せる領議政に、王は深く頷き、脇に広げた赤い壁書に視線を移した。
 巻き終えた煙草を鼻の下に滑らせ、その香りを楽しむ。口元を微かに引き上げ、王は呟くように言った。

「金縢之詞を捜す紅壁書か。面白くなってきたものだ」

 一方、まだ宮殿の執務室に残っていた左議政イ・ジョンムは、紅壁書騒ぎのために自宅から引き返してきた兵曹判書の訪問を受けていた。

「金縢之詞ですと?あれは、確実に処理したはずだ。今更なぜそんなものを持ち出す?!」

 左議政の剣幕に、兵曹判書は僅かに身を引いた。その額には、じっとりと汗が浮いている。

「もちろんです!金縢之詞は存在しません。左議政様も、それはご存知のはず……!」

 イ・ジョンムは兵曹判書を見据え、怒気をはらんだ声で言った。

「何としても、王が動く前に紅壁書を捕らえるのだ。先に奴を仕留めねば、下手をすると我々老論が積み重ねてきた100年の苦労が水の泡となってしまう!」

 兵曹判書は冷や汗を手の甲で拭い、ひたすら低頭した。


* * *

 泮村に入り、泮水橋に差し掛かったときである。ユニは、背後からいきなり肩を掴まれたのに驚き、思わず足を滑らせて尻餅をついてしまった。
 呆れたような目が、彼女を見下ろす。

「驚き過ぎだろう。人を化け物みたいに」
「イ・ソンジュンか……。まったく、化け物のほうがまだましだよ」

 官軍に曲者を見てないと嘘をつき、逃したことがまだ尾を引いていたらしい。我ながら肝の小ささに情けなくなる。

「もうすぐ三更だというのに、随分余裕だな。さては、わざと退学になるつもりか?」

 言いながら、ソンジュンは座り込んでいるユニに手を差し伸べた。ちょっと意外に思いながら、ユニはその手を取り、立ち上がった。

「北村〈プクチョン〉からの帰り?じゃあ、密命は解けたんだね」

 ソンジュンはそれには答えず、伝香門のあたりを見遣って、言った。

「急いだ方がいい。でないと、君が後生大事に抱えているその戦利品が無駄になるぞ」

 ユニは はっとして、なるべくそうは見えないように小さく折り畳んだチョソンの下着に目を落とした。転んだ拍子にかかってしまった土を ぱたぱたと払ってから、既に先を歩いているソンジュンの背を急いで追った。

 

 明倫堂の前庭には、既に密命を完遂したらしい新入生たちがほぼ全員戻ってきていた。

「皆、密命は遂行したか?」

 ヨンハの呼びかけに答え、ウタクが進み出た。

「私、キム・ウタクは御井水〈オジョンス〉を入手いたしました」

 白い器に満たした水を、基壇に立つインスに得意げに差し出して一礼する。ヨンハが訊ねた。

「本当に国王陛下の飲む水を持ってきたのか?この夜中に?宮殿から?」
「裏山で汲んで参りました。祭祀の折り、王に捧げられる水です。これも、陛下が飲まれる水には違いない」

 ほう、とヨンハが感嘆の息を漏らした。

「素晴らしい。知恵を絞ったお前を、成均館の学生と認めよう」

 掌議の手から、成均館の儒生服が渡される。ウタクはそれを恭しく受け取り、退がっていった。

「次の者!」

 ヨンハの目が、ユニに注がれる。さっさと出ておいで。嫌なことは早くすませた方がいい。彼の視線は確実にそう語っていた。
 
 何も怖れることはない。先輩方が頭の中で考えたこととは多少違っていたかもしれないが、密命の書に書いてあったことはちゃんと果たした。いやむしろ、下着に情を込める、という言葉通りの意味でなら、まさに完璧だ。
 男女の情ではないにしろ、今夜、チョソンとの間には確かに、ある種の情が生まれた───そう、ユニは感じたのだ。
 
 類稀な美しさだけでなく、優れた才能と聡明さを持ち、一人、男たちの傲慢と闘っている。けれどその内側には、純粋に詩や絵画を愛する少女のような心があって。
 胸が痛かった。と同時に、愛おしくもなった。幼い頃、父の朗読する書を部屋の外で必死に書き写していた自分自身の姿と、何故かチョソンが重なったのだ。

「新入生キム・ユンシク」

 牡丹閣のチョソンの下着を、とはとても言いづらく、ユニは自分の名を言っただけで、言葉を飲み込んでしまった。密命を果たした証拠の品を、黙って差し出す。
 ヨンハがそれを受け取り、手の上に広げた。薄い笑みを浮かべていた彼の顔が、次第に真顔になる。

「これは……チョソンの下着か?」

 明らかに動揺した声で、ヨンハは訊ねた。ユニが頷く。

「嘘だろ。あれ、エンエンのじゃないのか?」
「ソムソムのかも」

 ひそひそと言い交わすビョンチュンとコボン。だがヨンハの判定はあくまで公正だった。

「5つの牡丹のしるし……牡丹閣でこれを身につけられるのは、チョソンだけだ」

 流石に、彼のこの言葉に異を唱える者は誰もいなかった。成均館で、誰よりもあちらの世界に通じる人間が、ユニの物証を本物だと断定したのだ。これ以上確かな保証はなかった。

 ビョンチュンが、ヨンハの手から奪い取るようにして下着を手に取り、広げた。そこに記された詩を、声に出して読む。

『短い夜は長い夜より劣ると誰が申しましょう
短くとも甘美な夜は
どんな長い逢瀬にも代えられぬもの───』

 か、甘美な夜、ともう一度呟いて、ビョンチュンはごくりと喉を鳴らした。
 インスが、鋭い目をユニに向けた。

「もう一度聞く、キム・ユンシク。お前があれを、チョソンの手から直接貰ったというのか?」

 声は静かだが、その目の奥には押し込めた暗い怒りが揺らめいている。それでもユニは臆することなく、そうです、と答えた。
 男女の交わりなどなくても、互いの心を尊重しさえすれば、情を交わすことはできる。こんな簡単なことが、男たちには何故わからないのか。
 当代一の名妓は決して、お高くとまった鼻持ちならない女などではなかった。ただ、人間らしくありたいと願っているだけだ。兵曹判書の妾になるより、成均館に入学することを選んだ、ユニと同じように。

 はっ、とヨンハが息を吐き出して、自嘲気味に笑った。

「今日の最優秀者は決まりだな。あのチョソンと一夜を共にしたキム・ユンシク!こいつ以外に誰がいる?」

 上級生たちの間から、一斉に同意の声が上がる。

「キム・ユンシクを、成均館の学生と認める」

 ユニの手に、濃紺の儒生服が渡された。その手触りを確かめながら、胸の奥から沸き上がる喜びを噛み締める。
 新榜礼を無事乗り切ったばかりか、最優秀者に選ばれたのだ。チョソンには、感謝してもしきれない。もう会って礼を言う機会のないことが、ただ残念だった。

 ユニが、新入生たちの列に戻る。並びからいくと、次は隣に立つソンジュンだ。

「次の者!」

 ヨンハの声に、ソンジュンが顔を上げる。彼は正面を見据え、言った。

「新入生イ・ソンジュン。……密命を、解けませんでした」






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2011/09/12 Mon. 02:49 [edit]

category: 第三話

thread: 二次創作:小説 - janre: 小説・文学

cm 8  tb 0 

コメント

Re:びわさま

そうそう、惚れた女に固執し続けるとことか、異様に嫉妬深いとことか、二人とも素質は充分です(笑)

あまる #- | URL
2013/07/06 02:09 | edit

ストーカーw

「ソンジュンと同じくストーカー体質」に笑っちゃいました!
確かに、やってることは同じですよね…キャラが真逆で明と暗だけど。

びわ #p6hXJKzs | URL
2013/07/04 22:07 | edit

Re: タイトルなし

原作のチョソンはいかにも妓生、って雰囲気がむしろ潔くって、キャラクターとしてはわりかし好きです。
オトモダチにはなりたくないですけどね(笑)

このインス役の人、けっこうイケメンなのに悪役ばっかでちっと気の毒……(^^ゞ
「大丈夫パパの娘」ってドラマに出てたけど、サイテーな役でした(笑)これに比べたら成均館では
全然いい役だ……


あまる #- | URL
2012/05/09 21:36 | edit

原作のチョソンよりもずっとずっと可愛い。
いや、原作のチョソンもいいんですが、私としてはやっぱりこっちのつめたそうにみえるのに、ユニちゃんだけには純情乙女の姿を見せるチョソンが大好きです。

あのときのハ・インスの顔ったら(けっけっけ)
ほらほら、あんたももちょっとがんばんないとね。
(どーも、ハ・インス、役にはまりすぎてて、ちっとも可愛く見えない。 ごめんね)

ちびた #- | URL
2012/05/08 20:54 | edit

Re: にゃん太さま

チョソンは好きなキャラクターなんで、ドラマ以上に可愛く書けるように頑張りマス。

インスはたぶんアホなくらい純情なんでしょうな(^^ゞ
そしてソンジュンと同じくストーカー体質ww……

あまる #- | URL
2011/09/13 03:19 | edit

Re: みずたまさま

> チョソンとユニ いつか友達になれるといいね~

そですね~。ドラマではチョソンがユニの正体知ったあたりのことが さら~っと流されちゃってたので(^^ゞなんか消化不良というか。
結ばれることはないんだけど、あの二人の間には何かしら特別な感情があったんじゃーないかと思うんですよね。チョソンはもちろんですが、ユニの方にも。
なんで、「こいつら●ズか?」ってくらい、そのへんちぃっとしつこく書いてたら、あー、あまるの妄想が暴走しとるな、と思って見逃してやってください(爆)

あまる #- | URL
2011/09/13 03:06 | edit

No title

チョソン、恋する乙女だったね。
かわいかったね。
ユニ、心苦しかっただろうね・・・。

しかし、同じく恋する男インスは、切ないね。
なんだかんだいって純情だから・・・。
だからこそ、男の嫉妬は怖い。

にゃん太 #- | URL
2011/09/13 00:45 | edit

いつか・・・

あまるさん こんにちは~

チョソンとユニ いつか友達になれるといいね~

みずたま #- | URL
2011/09/12 10:33 | edit

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