スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
web拍手 by FC2

--/--/-- --. --:-- [edit]

category: スポンサー広告

cm --  tb --  

第二話 2 前夜 

自宅近くのいつもの水車小屋で、濡れた道袍を脱ぐ。チョゴリの紐を結び、本来の姿に戻った後も、ユニはすぐに帰る気にならず、チマの中の膝を抱えて座り込んでいた。

『巨擘にしておくには、惜しい文才だった』

 ソンジュンの言葉が、まだ耳に残っている。学堂で、誰かと机を並べて学んだことなどない彼女にとって、それは初めて、自分の才能を認められた瞬間だった。金銭や損得勘定、ましてや身分の上下や男女の性差もそこにはない。ただ、ユニという一個の人間に対する、純粋な賞賛。
 
 ソンジュンが、稀に見る堅物だということはすぐにわかった。恵まれた環境で、本ばかり読んで頭でっかちに育ってしまったのだろう。正義感の塊で、融通がきかなくて、こうと決めたら絶対に引かず、自分の考えを押し通そうとする理想主義者。
 だがそんな彼だからこそ、その言葉には嘘がないと思えた。溢れ出る感情に任せ、思いつくままに自分の言葉で書いたものを褒められて、嬉しくないはずもなかった。

 どうしてあんな人が存在するんだろう。ユニは悲しくなって、抱えた膝の上で溜め息をついた。
 自分とは性別も、境遇も、考え方も、何もかもが違いすぎる。ユニにとっては、自分ばかりか家族の人生をも左右する50両のお金も、彼にははした金に過ぎない。そのたった50両のために、死に物狂いになる人間の気持ちなど、おそらくあのお坊ちゃんには想像すらできないのだ。
 
 志を書けと、彼は言った。自分の気持ちを、科挙の答案にぶつけろと。
 けれど女の自分が、志を持つことなどどうして許されるだろう。仮に許されたとして、それに何の意味がある?
世の中を変えることができるのは、ソンジュンのような一握りの人間だけだ。そんな人間の衣の裾に、腹いせの詩文を書くくらいが、自分には精一杯なのだ。
 
 ユニは、小さく丸まった身体をますます小さくした。このままどんどん小さくなって、いっそ消えてしまえたら。そうしたら、きっと楽になるのに。

 その晩の雨は、まだ当分止みそうになかった。


* * *

 
 昌徳宮北の秘苑に広がる、芙蓉池。その畔に立つ芙蓉亭で、第22代朝鮮国王、正祖は釣りを楽しんでいた。いや、楽しんでいた、というのは少々語弊があるかもしれない。
 背後にはいかめしい顔つきをした近衛兵たちが橋の向こうまでずらりと並び、微動だにせずに王の周囲を伺っている。
 傍らに控え、王の垂らす釣り糸の先をじっと見守っているのは、第20代国王景宗の時代から最大派閥として政権を掌握してきた老論派の現在の長、左議政イ・ジョンムと、彼に追随する兵曹判書、ハ・ウギュである。
 
 骨の髄まで老論気質が染み込んでいるこの二人に、監視でもするかのようにぴったりと張り付かれていては、呑気に釣りなど楽しむ気分にならないというのが、王の本音だった。芙蓉池の魚も、地上の様子を察したのか一向に餌に寄り付かない。

 実際、彼らは自分を監視しているのだと、王はとうに気づいている。祖父にあたる先王、英祖が推し進めようとしていた、派閥によらない人材登用、蕩平策(タンピョンチェク)を更に確固たるものにし、父、思悼世子(サドセジャ)を死に追いやった老論をいずれは完全に宮廷から排除する。王の密かな、しかし固い決意のもとに企てられた計画は、徐々にその姿を現し始め、察しのいい一部の老論幹部たちを戦々恐々とさせている。
 
 だが急激な改革は自分にとっても民にとっても得策ではないことを、王は熟知していた。嫌というほど。    
 今は、彼ら老論がこれ以上力をつけないよう牽制しつつ、自身の地盤を固めていく時期だと、王はこれまで何度もそうしてきたように、己を自制する。イ・ジョンムやハ・ウギュのような強者を相手にするには、焦りは絶対に禁物なのだ。

 王は殊更のんびりとした風を装い、隣に立つ左議政に声を掛けた。

「先日の初試で、随分と大胆な儒生がいたらしいが……そなたの息子だそうだな」

 山羊を思わせる白い髭の左議政は、静かに面を伏せる。

「恐縮にございます」
 
 王は笑って(このときばかりは、彼は本当に愉快だった)さざ波すらたたない池の水面を見つめた。

「気にするな。余は自分を恥じているのだ。小科初試だからとあまりに軽んじ過ぎていた。───そこでだ。
次の覆試では、もっと力を入れようと思う」

 いったい何をやらかす気だ、と片眉を上げる兵曹判書の顔が、王には見なくてもわかる。久々に面白いことになりそうだ、と王は鏡のように静まり返った池に、勢い良く釣り糸を投げた。


* * *

 翌日、街に勅旨が貼り出された。その内容に驚いたのは、なにも覆試を受験する儒生たちだけではなかった。登用試験の不正行為を副業とする貰冊房や、巨擘、写手たちが、商売上がったりだと一斉に頭を抱えた。
 なぜなら、明日の小科覆試の試験会場はあの、言わずと知れた王家本宮景福宮、しかも、王自ら鎮座ましますその御前で執り行われる親臨試だというのである。

 流石に、王の目前で不正を働ける程の命知らずはいないと見え、その日は街のあちこちで挟書の類を焼き捨てる儒生たちの姿があった。
 貰冊房の主人、ファンも、例にもれず渋い顔をして、挟書に使う道具類を片付けている。どれもこれも、あの勅旨さえなかったら今頃受験生たちに飛ぶように売れていたはずの、店主自慢の商品だった。
 そこへ、息せき切って飛び込んできたのは、ユニである。

「イ・ソンジュンという男が、金を持ってこなかったか?」
「何言ってんですか。禁書の本代なら、私にくれるのが筋ってもんでしょ?」

 ファンのいつもの軽口にも、心なしか力がない。だがユニは構わず、尋ねる。

「来てないのか?」
「誰も来てやしませんよ」

 やっぱり、とユニは唇を噛んだ。

「あいつ……っ!絶対許さない」

 店を出ようとしたユニを、ファンが慌てて引き止める。耳元に口を寄せ、小声で囁いた。

「───巨擘の依頼があるんです」
「冗談だろ?今度の覆試は親臨試だ。みんな控えてるってのに」

 親臨試での不正は、恐れ多くも王その人を欺くのと同じ行為だ。いくらなんでも今度ばかりは、不正が発覚したら、生きては帰れない。
 ファンは大きくひとつ、嘆息した。

「……ですよね。やっぱり無理か……。誰でも命は惜しいですもんね」

 ちらりとユニを見て、背を向ける。その腕をユニはつい、掴んでしまった。

「せっかちな奴だな。誰もやらないとは言ってない。───けど、高くつくよ」

 ムフッ、と笑み崩れるファンに向かい、ユニは真剣な目で念を押した。

「100両、必ず用意してくれ」


* * *

 その晩。母の隣で床につきながら、ユニはいつまでも寝付けずにいた。

『今回はあちらさんが若様を探しますから、動かずにただじっと待っててください。わかってるでしょうが、くれぐれも気をつけてくださいよ。バレたら服毒ですからね、服毒!』

『───必ずお前を手に入れてやる。3日後に輿を送るから、準備しておけ』

 貰冊房の主人の物騒な言葉と、兵曹判書のおぞましい目付きが、交互にユニの脳裏に現れては消える。
何の因果か、兵曹判書から迎えの輿が来るのは明日。巨擘の依頼を受けた覆試も明日だ。
ユニは今まさに、ギリギリの崖っぷちに立っていた。右を選んでも左を選んでも、谷底に落ちることには変りない。指先の震えが止まらず、ユニは何度も寝返りを打った。

 彼女の運命が決まるその瞬間が、すぐそこまで迫っていた。






↓楽しんでいただけたらポチっとお願いします
にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
スポンサーサイト
web拍手 by FC2

2011/08/08 Mon. 03:39 [edit]

category: 第二話

thread: 二次創作:小説 - janre: 小説・文学

cm 2  tb 0 

コメント

Re: ぐっさん

この釣りのシーンは、ワタシもお気に入りです。王様のタヌキ感が、頼もしい(^^)
あんな雰囲気じゃ、実際釣りとかのんびり楽しめなかっただろうなぁ。
ちょっとお気の毒(-。-;

あまる #- | URL
2012/05/04 09:01 | edit

ぐっさん

じゃなくて、王様ー!
この釣りのシーン、アダルトチーム勢ぞろいでなかなか。
若者チームには出せない大人の雰囲気が漂っていて、ドラマに重厚感を与えてますねえ。

ユニちゃん、明日の事を考えるとドキドキの夜ですが、お母様と寝ていた時のねぞうはどうだったのかしら??
男の格好で寝ている時と女の格好で寝ている時の寝像は違うのかあ。
芸達者なクマだ(爆)

ちびた #D4zl0nFc | URL
2012/05/03 12:12 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://amaru0112.blog.fc2.com/tb.php/20-aa2066d4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

2017-10
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。