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第四話 7 宴のあと 

 雲従街の外れ。
 古びた民家の窓から、細く灯りが漏れている。綿のはみ出した布団だの、農機具だのが乱雑に積み上げられた部屋の中では、いかつい風体の男たちが4人、車座になって何やらじっと手元を睨んでいた。

「くそっ、ついてねぇ」

 男の一人が、握っていた札を座の中央に叩きつけ、悪態をついた。隣の男も、忌々しげに顔を歪め「畜生、こっちもだ」と札を放る。
 その様子を見ていた、ひときわやくざな風情の男───ジェシンは、煽っていた酒瓶を置き、口の端を引き上げて笑った。

「悪いな。頂きだ」

 場に積まれた掛金をざっとかき集める。その腕を、もう一人の男が掴んだ。

「おっと待った。悪いが、俺の勝ちだ」

 そう言って、手にした札をぱんと出す。
 ジェシンは舌打ちしたが、男の足袋の端から覗く札に目ざとく気づき、素早くそれを引き抜いた。男はぎょっとして目を剥いた。

「こりゃあ生憎だったな」
「てめぇ!イカサマか!」

 男たちが掴みかかった、そのときである。扉を蹴破るようにして、捕盗庁の役人たちがどっとなだれ込んできた。

「全員捕らえろ!」
「一人も逃すな!」

 ジェシンは自分に向って振り下ろされた警棒をかわすと、鋭い蹴りを役人の鳩尾に食らわした。狭い小屋の中で組んずほぐれつしている男たちを尻目に、逃げるが勝ちとばかり通りに走り出たが、そこで彼を待っていたのは十数人もの役人たちだった。
 補盗庁が、たかが賭場の手入れにここまで人員を投入することはない。取り囲んだ役人たちの中に見知った顔を見つけ、ジェシンは彼らの真の目的を悟ったのだった。

 役人たちに拘束されたジェシンが連行されたのは、司憲府〈サホンブ〉だった。そこは、三司〈サムサ〉と呼ばれ、司諫院、弘文館と並ぶ王に最も近いと言われる三官庁の一つである。官職にある者を監督する官庁に彼が連れてこられた理由は、たった一つだ。だがそのたった一つの理由が、彼を苛立たせ、粗暴な行動に走らせている原因とも言えた。

「放せ!」

 両脇を抱えられ、無理矢理椅子に座らされたジェシンは、役人たちの手を振りほどくと、荒い息をついた。

「───情けない奴だ」

 こちらに背中を向けて立っていた男が、振り向いて吐き捨てるように言った。この司憲府の長である、大司憲〈テサホン〉ムン・グンスである。
 はっ、と小馬鹿にしたように笑うジェシンに、グンスは声を荒らげた。

「いつまでそうやって、放蕩を続けるつもりだ、ジェシン!死んだ兄に、恥ずかしいとは思わないのか!」

 ジェシンの表情が、さっと強張った。膝の上の拳が、血の気がなくなるほど強く握り締められている。

「それを言う資格が………貴方にありますか、父上」
「何だと?」

 乱れた前髪の隙間から、剥き出しの敵意が覗いた。

「世間から何を言われようが知ったことじゃない。ですが、父上は別です。貴方に言われると………吐き気がする」

 立ち上がったジェシンの前に、司憲府の役人たちが立ちはだかる。ジェシンは座っていた椅子を掴むと、床に激しく叩きつけた。繊細な彫りの施された椅子は、バラバラに砕け、辺りに飛び散った。
 唖然とする役人たちを残し、ジェシンはつかつかと大司憲の執務室を後にした。


*   *   *


 成均館の至る所に植えられた木々は、朝靄の中、滴るような緑の葉をいっぱいに繁らせている。その枝を揺らす風が、縁側で眠るユニの鼻先にも届き、彼女は小さくくしゃみをした。
うっすら瞼を開け、二、三度ぱちぱちと瞬きする。ぼんやりとした視界がやがてはっきりしだすと、間近にあるジェシンの顔がじっと自分を覗き込んでいるのにようやく気づき、腰を抜かしそうになった。

「コ、コロ先輩!戻ってたんですか?」
「お前、なんでこんなとこで寝てる?」

 至極当然の疑問だろう。夕べは結局部屋に戻れぬまま、縁側の柱を枕にして一晩を過ごしてしまったわけだ。だが同室生が裸で寝てるので、とも言えず、ユニは返事に困った。
 ジェシンはどうでもよさそうにばりばりと首の後ろを掻くと、中二房の扉を威勢よく開けた。慌てたユニは思わず両手で顔を覆った。

「───お戻りですか、コロ先輩」

 静かな声が中から聞こえて、ユニはまだ半分手で顔を隠したまま、恐る恐る部屋を覗いた。

 思わず、自分の目を疑ってしまった。

 蹴散らされた布団も、ぐしゃぐしゃに放り出された服も消えていた。中二房の室内はまるでもとからそうだったようにきちんと片付いており、昨晩の痕跡は跡形も無い。そこに、文机の前でぴしりと背筋を伸ばして座るソンジュンがいた。

 ジェシンは返事もせず、ずかずか足を踏み入れると床の上にごろりと横になった。ソンジュンが、読んでいた書物にまた視線を落とす。人にあれだけ大変な思いをさせといて、優雅に講義の予習とはいい気なものだ。ユニは鼻息荒くソンジュンの正面に立った。

「ゆっ、昨夜のことだけどっ!」

 ソンジュンは書物から顔を上げ、ユニを見た。

「昨夜、何かあったのか?」

 ユニは呆れ返って口をぱくぱくさせた。この取り澄ました顔!まるでいつも通りだ。昨夜はあんなに酔いつぶれてベロベロで、うら若き乙女の目の前で素っ裸にまでなったくせに。何なの、このスッキリした顔は!

「イ・ソンジュン!あんたねぇっ!」
「静かにしてくれないか。勉強の邪魔だ」

 静かにしてやる。今この場で、この男の首を全力で締め上げることができたら、一生口をつぐんでたっていい。
 ユニは本気で、そう思った。


*   *   *


「坊ちゃん、さあ、これを飲んでください」

 人けのない東斎の裏手。スンドルが差し出した蜜水を、ソンジュンは頑なな表情で押しやった。

「ここへは来るなと言っただろう」
「んなこと言ったって、坊ちゃん一人にしておくと騒ぎを起こすじゃないですか。なんで、飲めもしない酒を飲んだりしたんです?」

 ぐっ、と一瞬言葉に詰まる。

「それは………誰に聞いた」
「都中の人が知ってますよ。左議政様の一人息子がぐでんぐでんに酔っ払ってえらい有様だったって、みんなしてペラペラ………」

 ソンジュンの脳裏に、昨夜の出来事が目まぐるしく、だがはっきりと蘇ってきた。途端、猛烈な吐き気がこみ上げてきて、彼はたまらずスンドルの持っていた蜜水を奪い取った。

「ああ、ゆっくり飲まなきゃ、ゆっくり」

 一気に蜜水を流し込んだせいで咳き込む主人の背中を、スンドルが叩く。ソンジュンは口元を拭いながら「大丈夫だ」と平静を保とうとしたが、それもほんの一瞬だった。すぐに身を折り曲げて、地面に向かって情けない声を出す羽目になる。

 変だとは思ったのだ。
 目が覚めたら、やたらと喉が乾いていて、足元がなんとなく心許ない気がして。そこに目をやると、下衣も何も履いていない足があった。それが自分の足だと理解するまで、一時を要した。

 なんで裸?!

 愕然とした。

 この吐き気はまだ残っている酒のせいだ。ソンジュンは必死にそう思い込もうとした。
 決して、昨夜の失態のせいじゃない。あんな失態のせいじゃ………

「おえっ………」
「あああ、もう出しちゃってください、ほら!」

 スンドルは後ろからソンジュンの身体を抱え、持ち上げては下ろすを繰り返す。されるがままになりながら、ソンジュンはぐらぐらする頭と悪夢のような記憶に、苦しげな声を漏らすのだった。





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2011/12/07 Wed. 21:23 [edit]

category: 第四話

thread: 二次創作:小説 - janre: 小説・文学

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第四話 8 昨夜の記憶 

忘れよう。とにかく忘れるんだ。

成均館の構内を歩きながら、ソンジュンは胸の内で呪文のようにそう繰り返していた。
酒の力は恐ろしい。自分が自分でなくなってしまう。
今まで努力して創り上げてきたイ・ソンジュンという人間像を、たった一杯(とは言えない気もするが)で崩壊させてしまうのだから。
とはいえ、彼はスンドルがご丁寧にも報告した巷の評判などを気にしているわけではなかった。
昨晩の一件で、ソンジュンにとって最も痛手だったのは。

「イ・ソンジュン庠儒」

そら来た、とソンジュンは思わずあらぬ方向へ目を泳がせる。明倫堂前の中庭に入ったところで、今の彼が唯一まともに顔を見られない人物───キム・ユンシクが、小柄な身体を反っくり返らせるようにして、彼の前に仁王立ちになっていた。

「あまりの申し訳なさにそらっとぼけるつもりのようだけど」

そんな風に切り出したユンシクは、下から睨めあげるようにしてソンジュンを見た。

「ぼくは、貸し借りをはっきりさせたい性分なんだ。それにこういうのは、礼と法を重んじる君にも似合わないと思う」

確かにそうだ、僕には似合わない。だがこのところ万事がそうだ。このキム・ユンシクという少年に出会ってから、生来のイ・ソンジュンには似合わないことばかりやっている気がする。
自分を取り戻せ、イ・ソンジュン。ここで頭を下げたり、彼にへつらうような真似をしたら、それこそ僕じゃない。

ソンジュンは一つ息を吸い込むと、そのまま黙ってユンシクの脇をすり抜けた。だが彼は尚も食い下がる。

「礼を言うなら言う、謝るなら謝る、ちゃんとはっきり………」

くるりと振り返り、殊更真面目な顔でソンジュンは言った。

「昨夜のことなら」
「覚えてるのか?」
「成均館に入学できたのは僕のお陰だと、君に礼を言われた」

期待に見開かれていた目が、途端に天を仰いだ。

「違うってば!そのことじゃなくて、もっと後!」
「その後は───確か、西斎に移らないでくれと、僕に頼んでたな」

かくん、と小さな顎を落として、ユンシクは穴の開くほどソンジュンの顔を見た。

「安心しろ、キム・ユンシク。君の頼みとあらば仕方ない。西斎に移ると言ったのは撤回しよう」

口を開けたまま、あ、とも、う、とも言えずにいるユンシクの表情に満足して、ソンジュンはまた彼に背を向け、すたすたと歩き出した。背後で、ユンシクが言葉も無く地団駄を踏んでいるのが見えるようだ。
想像したソンジュンはつい、くすっと笑ってしまった。


その日、昌徳宮からの使者が二人、馬を駆って成均館にやってきた。彼らが携えてきた王の勅書は、すぐさま構内の掲示板に貼り出され、儒生らの注目を集めた。

【成均館の学生に告ぐ。来る9月22日、成均館にて、大射礼〈テサレ〉を開催する。優勝者には50点の円点と酒が振舞われる。予選敗退者は科目落第とする。徳を重んじる若い学生たちに、よい機会となることを祈る】

「大射礼か………」

大射礼といえば、第11代国王中宗以来途絶え、先王英祖が200年ぶりに復活させた国家行事だ。本来は王が臣下と共に弓術を競うことで、『君臣に義有り』の教えを諭す儀式である。

“君臣は義を以て合う者なり、合えば即ち就き、合わざれば即ち去る”

臣下は正しき君主に従い、君主といえど正しくなければ去るのみ───。
この場合、“去る”のは臣下だけではない。朝鮮の歴史を紐解けば、君主である王がその座を去る、いや、正しくは追われることも多々あったはずだ。
儀式とはいえ、王にとってはおそらく気の抜けない催事であったろう。それを、公式ではないにしろ、この成均館で行うという。

ソンジュンは、王の真意を測りかねていた。
左議政である父によれば、現王正祖は政治的実権を握る老論を牽制するのにやっきになっているという。王にとっては、自分の思い通りにならない老論の存在は、目の上のタンコブのようなものだ。そこに、君臣の義を改めるような行事をわざわざ催すのは、自ら墓穴を掘るようなものではないのだろうか。
しかも、大射礼は非業の死を遂げた正祖の父、思悼世子が殊の外好み、成均館の学生たちと楽しんでいた行事だった。そのため、思悼世子の死後、先王英祖がその開催を一切禁じたのだ。

それをまた、何故今になって?

考え込んでいたソンジュンはふと、少し離れたところで大射礼開催の勅書を呆然と眺めるユンシクの姿に気づいた。
あの様子からすると、もしや。
なんとなく嫌ぁな予感がして、ソンジュンはその場を離れたのだった。


彼の予感は正しかった。午後の講義の後、丕闡堂前庭に設けられた弓場に行ってみたソンジュンは、そこでおぼつかない手つきで弓の練習をしているユンシクを見つけたのだ。
いやあれは、弓の練習とはいえない。そもそも弓をきちんと握れてさえいないし、的に対しての立ち方もなってない。

両班の子息ともあろう者が、六芸の一つである弓術も身につけていないとは。
ソンジュンは呆れたが、すぐに、父親を早くに失くしたという彼の境遇を思い出した。
食べていくのがやっとという生活では、当然、呑気に弓や馬術の練習などできなかっただろう。彼には、手をとって教えてくれる父親さえいないのだ。

ソンジュンは自分を恥じた。恵まれた人間は、それが当たり前になってしまって、自分が恵まれていることに気づかない。それでは、あの新榜礼の日、ユンシクの草餅を豚の餌だと言ったビョンチュンと同じになってしまう。
だがソンジュンはユンシクといるとどういうわけか、彼が南人だとか、貧しい家庭に育ったとかそういうことを、つい忘れてしまうのだ。
彼の屈託のない明るさがそうさせるのだろうか。それとも、女性のような見かけのわりに、中身は一本筋が通っているというか、男らしい性格のせいなのか。とにかく。
惹きつけられる。
一言で言うと、そんな感じだ。

難攻不落と噂される名妓チョソンが、あっさり自分の下着を彼に渡したというのも、他の儒生たちは皆驚いていたが、ソンジュンにはわかる。
男も女も関係なく、人を惹きつける何か不思議なものを、彼は持っているのだ。
スンドルに文句を言われながら、彼を探すために筆洞を必死で歩き回った、あの時からそうだった。
理屈ではなかった。

と、立っていたソンジュンの脇を、へろへろと力のない軌道を描いて矢が掠めた。慌てた顔のユンシクが、駆け寄って来る。

「ご、ごめん!怪我しなかった?」

あんなんで怪我なんかするか、とソンジュンは仏頂面でユンシクの手から弓を取り上げた。
彼の手を取り、改めて弓をきちんと握らせる。

「大射礼は清斎の部屋毎の団体戦だ。つまり、一人が予選敗退すれば、同室生全員が落第する。誰かのせいで予選落ちの巻き添えを食うのは御免だ」

腰を引かせ、正しい位置に立たせる。背筋を伸ばして、肩を広げて。
ソンジュンの手が触れる度に、ユンシクの身体はいちいちびくついた。ソンジュンは平静を装ったが、内心は酷く驚いていた。
柔らかいのだ。どこもかしこも。
この間、寝ていた彼を抱き起こしたときもそう思ったが、あれはやはり気のせいではなかったのだ。
弓と弦を握らせるため、重ねた手は小さくすべすべとして、ソンジュンの手のひらより少しだけ温度が低い。
うなじのあたりがざわざわするような、何だか妙な気持ちになって、ソンジュンは彼から手を離した。

「もう一度やってみろ」

構えを教えて射させてみたが、矢は飛ぶことすらできずに彼の目の前でぱたりと落ちた。

「ヘタクソ」
「うっ………」

きまり悪げにうつむいたユンシクに、ソンジュンは言った。

「昨日僕を担いだ力は、一体どこへ行ったんだ?」

ユンシクが、えっ?と顔を上げる。その足元に屈んで、つま先を広げさせた。

「もっと力を抜け。昨夜門を蹴り過ぎて傷めたのか?」
「昨夜のこと、覚えてるの?全部?」

昨夜のことは、ソンジュンにとっては一日も早く忘れたい記憶だ。だが、覚えておきたいこともあった。

彼は立ち上がると、もう一度、ユンシクの手を取って弓を構えさせた。今度は背後から腕を回し、一緒に弦を握る。自然と、二人の身体が密着した。ソンジュンの鼻先に、ふわりと甘い香りが漂った。
一体何の匂いだろうと彼は不思議に思ったが、不快な匂いではなかったので、というか、むしろもっと嗅いでいたいような、そんな香りだったので、彼は無意識のうちにユンシクのこめかみに自分の頬を寄せ、的に目を凝らした。

「───僕にとっても、初めての経験だった」

力を入れ、弦を引き絞る。ソンジュンの手にすっぽりと包まれたユンシクの手が、微かに震えるのがわかった。

「同じ門下生ならまだしも、それ以外で味方ができたのは」

ユンシクが、首だけこちらに向けてソンジュンを見上げる。黒い、澄んだ瞳が間近で彼をじっと見詰めた。その視線に吸い寄せられるように、ソンジュンも彼の瞳から目が離せなかった。

「………キム・ユンシク、君が初めてだ」





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2011/12/13 Tue. 23:52 [edit]

category: 第四話

thread: 二次創作:小説 - janre: 小説・文学

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第四話 9 大射礼 

「大射礼?大射礼ですと?!」

昌徳宮の一室では、兵曹判書ハ・ウギュが声を荒げていた。

「知っておられながら、よくもそんな、悠々と構えておられますな、大監!」

左議政イ・ジョンムは兵判が指摘するとおり、時折ふと顎に手をやり次の手を考えつつ、のんびりと碁を打っている。

「………大射礼といえば、思悼世子が成均館で楽しまれていた行事ですな。思悼世子亡き後、先王が禁止なさっていた」

思い出話でもするかのような左議政とは違い、兵曹判書は苛々と続けた。

「何か、妙に気になりませんか。金縢之詞の壁書といい、今回の大射礼といい。王は何をお考えなのか………。何か仰ってください、大監!王の狙いは何です?!」

そのとき初めて、イ・ジョンムは碁盤から顔を上げ、兵判を見た。

「───あの夜、金縢之詞は確かに処分したと、そう、言われましたな」
「そ、それは確かに………」
「慌てても仕方ないでしょう。今は、策を弄する時ではない。じっくりと………相手の動きを見るのです。そうすればおのずと、手は見えてくる」

そう言って、イ・ジョンムは指に挟んだ碁石を打ちつけた。冷たく硬い音が、室内に響いた。


*   *   *

同じ頃。王の私室では、古びた書簡を畏まって受け取るチョン・ヤギョンの姿があった。
広げた書簡にさっと目を通したヤギョンは、その最後に記された名に驚き、王を見た。

「陛下、これは………」

王の顔は、苦渋に満ちている。代わりに、傍らに控えていた領議政チェ・ジェゴンが答えた。

「キム・スンホン博士の遺品だ。10年前のあの晩、博士らと一緒にいた成均館の役人が亡くなり、その息子が送ってきたのだ」

信じられないものを見るように、ヤギョンは改めてその書面に目を落とす。

「しかしこれは………辞職の願い出では?」
「キム・スンホン………」

王は、かつての友の名を噛み締めるかのように呟くと、言った。

「無力な王のため、暗号で遺言を残すとは………なんという男だ」

ヤギョンは一つ大きく息を吐いた。そうしなければ、とても落ち着いて話ができそうになかったのだ。

「陛下、この遺言のとおりだとすると、金縢之詞は」

王は頷いて、ヤギョンに向き直った。

「これが、そなたを成均館に送り込んだ本当の理由だ。チョン・ヤギョン博士」

王の目には、ただならぬ気配が漂っている。ヤギョンは自らが背負う事の重大さに、言葉も無くその場に立ち尽くしていた。


*   *   *

王宮から戻ったヤギョンは、官服を着替えるのも忘れ、成均館の薬房で一人物思いに沈んでいた。
恩師の残した暗号、金縢之詞………。様々な憶測と可能性が、彼の脳裏に浮かんでは消えた。

「チョン博士」

そこへ、いそいそとやってきたのは大司成だ。彼は、綺麗に折り畳んだ白衣をヤギョンの前に置きながら、言った。

「あなたは医術にも詳しいとお聞きしましたのでね。大射礼までの間、学生たちが怪我をしたときに備えてください。───聞いてます?」

無反応なヤギョンに構わず、大司成は続ける。

「何せ、大射礼は陛下もご覧になる一大行事です。この年寄りが中央に戻れる、ともすると最後の機会になるやもしれません。よろしく頼みますよ、チョン博士」

大司成はにんまりとした笑みを浮かべてぎゅっとヤギョンの手を握り締めたが、彼は相変わらず上の空だ。大きなため息を一つついただけで、大司成の存在など全く目に入っていない様子である。
大司成はたちまち不機嫌になって手を離すと、持っていた名簿をぽんと机の上に放った。

「チョン博士、陛下がご覧になるこの名簿も、明日までに整理しておいてくださいね!ぷん!」

微動だにしないヤギョンを残し、大司成は足音高く薬房を出ていった。


*   *   *

「おい、テムル。同室の連中はどうした?一緒に練習しないのか?」

弓場に設えられた東斎の天幕の下。一人、弓の練習をしていたユニにビョンチュンが薄ら笑いを浮かべながら話しかけてきた。背後には例に漏れず、掌議ハ・インスとその他取り巻きたちがいる。

「今は、練習時間じゃないので」
「じゃあ、お前はここで何してる」
「ぼくは………足を引っ張らないように、一人で練習しようと」

ひひひ、とビョンチュンは歯を剥き出して笑った。後ろで、コボンも似たような顔で笑っている。猿だってこんないやらしい顔はしない。ユニは気分が悪くなった。

「ああ、イ・ソンジュンに従って、相変わらず東斎で老論と一緒ってわけだ。お前も苦労するな」
「それで奴のいいつけどおり、練習してるのか。ついでに優勝しろってか?」
「言われてやってるんじゃありません。ぼく自身の考えです」

つい、ムキになってしまうのはこの人たちの顔のせいだ。生まれつきの造作とか、そういう問題じゃない。表情には、人の品位ってものが現れる。彼らに比べたら、この間泮村の肉屋で見た白丁のほうが、強面ではあったがよっぽど凛々しい顔つきをしていた。あの白丁に絹の服を着せたら、彼らよりずっと似合うだろう。

「こいつ、口の減らない野郎だ」

身を乗り出そうとしたビョンチュンを手で制して、インスがユニを見た。

「老論が東斎にいては、いけませんか」

ユニの問いに、インスは「何?」と片眉を上げた。

「掌議は、成均館で無事に過ごしたいならよく考えろと、そうおっしゃいましたよね。だからぼく、考えたんです。掌議がそれほどの力を持っているなら、そして、老論が東斎にいるのが間違いだというなら、掌議が原則を変えれば済むことです。『寄宿生は党派別に、東斎と西斎に別れる』。それが規則なら、あのイ・ソンジュンだって従うはずです」

「黙れ!この……」

いきり立つビョンチュンを遮り、インスは面白そうに言った。

「つまり、イ・ソンジュンは成均館の規則に従っているだけで、間違ってはいないと。そう言いたいわけだな」

インスは東斎と西斎の天幕の間にある低い柵を越え、ユニに近づいた。

「なるほど。確かにお前の言うとおりだ。私が浅はかだった」

ユニの握っていた弓を取り上げ、彼は笑った。成均館の掌議に相応しく、上品な微笑だ。

「詫びの代わりに、弓を教えてやろう」


*   *   *

東斎の縁側で、ソンジュンは手にした弓の弦を何度か軽く引っ張り、具合を確かめた。
この弦はさほどきつく張られているわけではないが、ユンシクのあの腕力では引くことはおろか、矢をつがえることも難しいだろう。かといって弦を緩くすれば弓の威力は落ち、的に届かなくなってしまう。

まずは基礎体力か………だが、間に合うのか?

考え込んだソンジュンのもとに、斎直の一人、チョンドンがばたばたと走ってきた。少しぽっちゃりとした風貌がどことなくスンドルを思わせるその子供は、ユンシクの美貌に憧れがあるらしく、よく建物の影から彼をこっそり覗き見ているのをソンジュンは知っている。

「どうした?そんなに慌てて」
「た、大変です!弓場で、テムル様が………!」

さっ、と顔色を変えたソンジュンは、縁側を飛び降り、丕闡堂へと駆け出した。


*   *   *


「お前が勝つべきは、他人ではなく、お前自身だ。矢を恐れるお前自身こそが、敵なのだ。私が、それを教えてやろう」

高らかにそう言って、弓を構えるハ・インス。彼が狙う的の前には、林檎を頭に乗せたユンシクが、顔面蒼白で立ち竦んでいた。弓場に飛び込んだソンジュンが血相を変え、インスの腕を掴んだが、間に合わない。矢は放たれ、真っ直ぐにユンシクへと向かっていく。

そのときだ。黒い影が脇から飛び出してきたかと思うと、ユンシクに体当たりするように覆い被さり、そのまま地面にどさりと倒れこんだ。インスの放った矢は、ユンシクが背にしていた的の上部に深々と突き刺さっていた。

ユンシクを抱きかかえた黒い影が、こちらに顔を向けてインスを睨みつける。その凄まじい形相は間違いなくムン・ジェシンだ。
ユンシクの無事を確認したソンジュンはほっとすると同時に、激しい怒りに身を震わせ、叫んだ。

「何をするんです!」

インスは何を大騒ぎしてるんだとでも言いたげに、口の端を上げてソンジュンを見た。

「後輩を指導していただけだが?」

ソンジュンは拳をきつく握りしめた。殴りつけたいのをどうにか堪えたのだ。振り返ると、ユンシクを抱き起こすジェシンが見えた。ユンシクは気を失っているらしく、ぐったりしている。
インスなどに構っている場合ではなかった。ソンジュンは柵を乗り越え、ユンシクの元へと走った。




薬房では、チョン・ヤギョンが大司成の置いていった名簿を広げ、大射礼の準備を始めたところだった。これから学生らをそれぞれの部屋に分けて、その編成ごとにまた別の名簿を作成しなければならない。
どうやら今夜は徹夜になりそうだ、と覚悟を決めたその時、ふと、今日王宮で見たばかりの名がそこにあることに気づき、ヤギョンは頁をめくる手を止めた。

『金 允植〈キム ユンシク〉 父・金 承憲〈キム スンホン〉』

キム・ユンシク………!あの学生が、キム・スンホン博士の息子なのか?

驚愕のあまり、ヤギョンは名簿を持ったまましばし呆然とした。なんという巡り合わせか。恩師の遺言を初めて見たその日に、彼の遺児の名を成均館の学生の中に見つけるとは。

「先生!キム・ユンシク庠儒が………!」

薬房の扉を勢い良く開けて、斎直のポクトンが飛び込んできた。その後から入ってきたのは、泮宮の暴れ馬、ムン・ジェシンに背負われたキム・ユンシクだった。
薬房の診察台に運び込まれたユンシクの顔は血の気を失っている。そのことにももちろん驚かされたが、ヤギョンが更に驚いたのは、あのムン・ジェシンがこいつを助けないと殺すぞとでも言いたげな目でじっとこちらを見ていたことだった。


*   *   *

目覚めたユニは一瞬、そこがどこなのかわからなかった。

天井からぶら下がったいくつもの麻袋や、壁に貼られた経脈図で、室内に漂うこの不思議な匂いが薬草のものであることをなんとなく理解した彼女は、はっとして身体を起こした。
ふと、胸元に手をやる。いつもそこにあるはずの銀粧刀が失くなっている?
慌てて診察台を降り、どこかに落ちていないかと床の上を探し回るユニの目線の先に、黒い革の靴があった。
顔を上げたユニは、そこに立っていたチョン・ヤギョン博士の険しい視線とぶつかった。

「先生………!」

チョン博士はただ黙って、ユニの顔を見据えている。何か責められているような気持ちになって、ユニは目を逸した。

「ぼくは………もう、大丈夫なので戻ります」

頭を下げ、踵を返した。

「女か?」

びくん、とユニは身体を強張らせた。

「答えなさい、キム・ユンシク。君は───女なのか?」

心臓が、早鐘のように打ち始める。手足が急に冷たくなって、ユニはその場から動けなくなった。






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2011/12/15 Thu. 21:29 [edit]

category: 第四話

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第五話 1 秘密 

キム・ユンシクをここまで運んできたムン・ジェシンの話によれば、弓場で標的にされたが矢にあたりはしなかったというから、外傷の心配はない。顔が紙のように白くなっているところを見ると、恐らくは貧血を起こしたのだろう。

成均館の学生ともあろうものが芸人の真似事とは呆れたものだ、とヤギョンは深い息をつくとユンシクの手を取り、脈診を始めた。

(………?)

彼は眉を寄せると、もう一度目を閉じ、意識を集中させた。反対側の手を取り、そちらも診る。確かに貧血の症状だが、これは。

ヤギョンはにわかに自分の診断に確信が持てなくなり、立ち上がってユンシクの襟元を広げた。普段はあまりしないことだが、手首の寸口だけでなく頸動脈を診ようと思ったのだ。と、手の甲に何か硬いものが触れた。ユンシクが懐中に忍ばせていたものらしい。取り出して見ると、それは女性だけが持つ守り刀───細かな彫りの施された、小さな銀粧刀だった。
ヤギョンの胸に、衝撃が走る。

「キム・ユンシク。君は………」

彼は全てを理解した。



*   *   *



薬房から出てきたチョン博士の表情は険しかった。ユンシクの容体を尋ねようとしたソンジュンとジェシンが、揃って言葉を失う。

「皆、戻りなさい」

チョン博士はそこで待っていた儒生たちを見渡してそう言った。薬房の前庭には、他にも東斎の仲間数人がユンシクを心配して集まってきていた。
ドヒョンが、不満気な声を漏らす。

「そんな、ちょっと様子を見るだけでも………」
「いいから戻れと言ってる!」

博士のいつになく強い口調に、その場にいた者たちは皆、しんと静まり返った。

「キム・ユンシクは安静が必要だ。許可するまで誰もここに入ることはまかりならん。よいな」

承知しました、と傍らに控えていた書吏が低頭した。
博士が薬房に戻るやいなや、ジェシンは憤怒に頬を歪め、ヘウォンの背負っていた弓矢を乱暴に引き抜いた。それと察したソンジュンがすかさず、彼の行く手を阻んだ。

「掌議に仕返しするつもりですか?」

ジェシンがソンジュンを睨み返す。邪魔するならお前から片付けてやると言わんばかりの形相だ。

「お前は?同じ老論だからって庇い立てするつもりか?」

ソンジュンはまさか、と言った。

「原因は僕です。この件は………僕が解決します」

ジェシンは思わず息を呑んだ。言葉は静かだが、ソンジュンの目には、ジェシンですらも戦慄を覚えるほどの冷たい殺気が宿っていた。


*   *   *


「誰も薬房に入れるなって?」

人けの途絶えた明倫堂。耳敏いのは相変わらずだ。話を聞きつけたヨンハが色めき立った様子で、昼寝を決め込んでいたジェシンをつついた。

「なのに、恵民署〈ヘミンソ〉から医者も呼ばなかった、と。───何故だ?」

ぱちん、と扇を鳴らして、ヨンハは窓際に寝転がっているジェシンの顔を覗き込んだ。

「気にならないか?テムルに何があったか」
「テムル?」
「キム・ユンシクのことだよ。あのチョソンが認めた大物〈テムル〉を持ってる。だからテムル」

バカ言え、とジェシンは鼻で笑った。あの女みたいな可愛い顔にでかい一物?

抱え上げたユンシクは、一瞬戸惑うほど軽くて、柔らかだった。血の気を失っていたせいもあるだろうが、間近で見た肌は透き通るほどに白く、ジェシンはそのせいで酷く不安になったのだ。
こいつはもとから持病でもあったんじゃないか、と。

だから思わず、あんな似合わない真似をしてしまったのだ。
この俺が、男を抱きかかえて薬房まで運んで、その上、様子がわかるまでアホ面下げて外で待ってるなんて。
女子供ならいざ知らず、男相手に。しかもそいつが大物?あり得ない。

「まさしくだ。あの顔に似合わず大物とは。奴にはきっと何か秘密がある。人に知られてはいけない、すごく危険で、恐ろしい秘密が」

ジェシンの心を読んだかのように、ヨンハが言った。何かくだらない遊びを思いついたときの、あの顔だ。

完全に面白がってやがる。

ジェシンは目を閉じ、寝返りを打ってヨンハに背を向けた。

少しだけ暑さのとれてきた風が、窓からするりと入ってきてジェシンの髪を揺らした。






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2011/12/21 Wed. 15:06 [edit]

category: 第五話

thread: 二次創作:小説 - janre: 小説・文学

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第五話 2 罪 

崩折れるように、ユニはその場に膝をついた。

「お許しください」
「女の身で成均館に入っておきながら、許しを請うと?」

チョン博士の言葉が、冷たくユニの胸を刺した。

「目的は何だ?何のために成均館に紛れ込んだのだ」
「生き延びるためです。私は、ただ、生きたかっただけです。母と病気の弟を養わねばならず、仕事で科挙の試験場へ行ったばかりに、そのまま………。本当です。信じてください、先生!」

顔を上げて、博士を見た。チョン博士の表情は一層険しく、ユニへの不信感に満ちている。

「女を弟子にした覚えはない。弁解や言い訳をする愚か者を弟子にした覚えもない。陛下を侮り、道理に背いたお前とお前の家族は、死をもって罪を償うことになるだろう」

頭から冷水を浴びせられたように、ユニは凍りついた。死罪───!お母様やユンシクまでもが?
全身が、がたがたと震えだした。

「家族には何の罪もありません!罪を問うのは、どうか私だけにしてください。どんな罰も受けます!ですから」
「すべての原因が、母親と弟にあると言ったのはお前だ。そんな真似をさせた家族が、許されると思うのか」

ユニは はっとして言葉を飲み込んだ。博士の厳しい声が、追い打ちをかける。

「分かったか。弁解や言い訳では何も解決しない。戻って指示を待て。それまでは誰にも真実を知られてはならん。これ以上罪を重ねないためだ。───よいな」


*   *   *


「キム・ユンシクってのは、妙なやつだよな。なんで、みんなして奴を守ろうとするんだ?」

丕闡堂の弓場では、ビョンチュンが弓を選びながら分厚い唇を尖らせていた。

「だよな。老論と少論が力を合わせて、なんてさ。あり得ないよな」

背後のインスの顔色を伺いながら、コボンが言う。インスはフン、と鼻先で笑って、弓に矢をつがえた。

「老論と少論の結束か。王の目指す蕩平〈タンピョン〉そのものじゃないか。キム・ユンシクはどうやら、王より上手のようだ」

的に向け、弓を引き絞ったそのとき。

「あなたは卑怯だ!」

そう叫んで、足音高く西斎の射台に上がってきた男がいた。イ・ソンジュンである。
彼は弓を構えるインスの真横に立つと、怒気を露わにして、言った。

「標的にするなら、キム・ユンシクではなく、僕を狙うべきでしょう」

インスは弓を下ろすと、ソンジュンに向き直った。

「これは最後通告だ。西斎に来い、イ・ソンジュン。そうすれば、お前を下級生の長である下色掌〈ハセクチャン〉にしてやる。望めば、次期掌議に推薦してやってもいい」

結局そういうことか。ソンジュンはインスの執念深さに半ば呆れた。
この男は、権力欲の塊なのだ。強大な権力を持つ者は、それを崩そうとする僅かな綻びを決して許さない。蟻が通る程の小さな穴が、やがては築いてきたものを一瞬にして決壊させる要因となることを、よく知っているのだ。そして彼の権力が、老論という土台の上に成り立っていることも。
インスにとって自分は、老論という堅牢な土台を脅かす蟻だ。穴を開けられる前にこちら側に引き入れるのが懸命だと、彼は本能的に悟っているのだ。

「断れば、どうなりますか」
「だから貴様は青いというんだ。お前が西斎に移らないせいで、老論、少論、南人の蕩平組ができてしまったことがわからんか」

偏なく党なく 王道蕩蕩たり 党なく偏なく 王道平平たり───。『書経』の一節だ。
蕩平策は、所属する党派に関係なく、官吏登用の機会を平等に与えようと先王英祖が提唱、現国王正祖が継承して推し進めている政策である。成均館の構内に、英祖が建てた蕩平碑閣があることからも、激化する派閥闘争の中、王が並々ならぬ熱意を持ってこの政策を打ち出していたことがわかる。

「蕩平策は………間違いだと?」
「蕩平?党派を超えた結束か」

ソンジュンの問いに、インスは声を上げて笑った。

「そんな戯言を、私は信じてはいない。蕩平策は少論と南人を登用し、味方につけ、我々老論を王宮から追い出すための王の方便に過ぎん。大射礼でお前たちの組が優勝すれば、お前は官僚たちの前で蕩平を支持し、王の側につくことになる」

インスは弓につがえた矢の切っ先を、ひたとソンジュンに向けた。

「老論どころか、父親に矢を向けることになるのだ。………それでもいいのか?」

なるほど、とソンジュンは口の端を引いた。だがその目は、少しも笑っていなかった。

「僕は今まで、大射礼で僕たちが優勝することの意味を考えもしませんでしたが………掌議のお陰で、よくわかりました」

インスを見据え、彼はきっぱりと言った。

「僕らは優勝します。必ず」

ぴくりとインスの眉が引き攣る。

「何だと?」
「陛下の蕩平策が戯言なのか、それとも、掌議が独断に陥り権力欲に溺れているだけなのか、優勝すればわかるはずですから」

面白い、とインスは不敵に笑った。

「なら、やってみるがいい。身をもって学べば、忘れることもないからな」

風が、強くなった。射台に張られた天幕が、ばたばたと音をたててはためく。
その下で、ソンジュンとインスは睨み合ったまま、微動だにしなかった。


*   *   *


テムルの秘密だとかなんとか、妙なことを言い出したヨンハのせいか、ジェシンは一人になっても眠ることができなかった。
明倫堂の床に寝そべったままぼんやりと天井を眺めていると、入り口の扉が静かに開き、誰かが入ってくる気配がした。

ったく、自習なら尊経閣でやれよ。

縄張りを犯された獣のごとく眉間に皺を寄せたジェシンだったが、文机の前にうずくまって膝を抱えているのがユンシクだと分かると、思わず身を起こした。
しかも、何だか様子がおかしい。

───もしかして、泣いてるのか?

小さな肩が、震えていた。声を押し殺してはいるが、時折しゃくり上げるような息遣いが聞こえてくる。
放っておくべきだろうか。いやしかし。
迷っていると、ふいに、ユンシクが顔を上げてこちらを見た。顔中、涙でべしょべしょだ。ジェシンはうろたえて、つい目を逸らしてしまった。
誰もいないと思っていたら先客がいたのだ。気まずいのはさすがに向こうも同じだったらしい。ユンシクは顔を背けると、慌てて涙を拭った。

「一応は、男なんだな。涙は見せたくないのか」

言ってしまってから、ジェシンは心の中で舌打ちした。なんでこんな間抜けな台詞しか出てこない?
立ち上がって出ていこうとしたユンシクの肩を掴み、引き止めた。

「いろよ。俺が出てくから」

黙ったまま立ち竦んでいるユンシクを追い越して、ジェシンは扉に手を掛けた。

「おい、テムル。泣くならもっと豪快に泣けよ。………男だろ」

誰も自分に構うなと、たった一人で声を殺して、小さく蹲って。あんな泣き方は、見てる方が辛くなる。
ジェシンはユンシクと目を合わせることができないまま、明倫堂を出た。

薄暗い室内から外に出ると、眩しい光がジェシンの目を刺した。
頬を濡らしていた、ユンシクの涙。見たのは一瞬だが、ジェシンの脳裏には鮮明に焼き付いていた。
一旦は治まりかけていた怒りが、またふつふつと沸き起こってくる。

あの野郎、ただじゃおかねぇ。

丕闡堂へと向かう彼の足取りは、次第に速くなっていった。



「あいつ、夢を見てやがる。優勝なんかできるもんか。弓の名手の掌議がおられるのに」
「イ・ソンジュンがどう頑張っても、優勝なんかできっこないですよ」

弓場を見渡す楼閣に上がりながら、ビョンチュンとコボンがへつらうような笑みを浮かべる。
その先頭を歩いていたインスの鼻先を、何かがひゅっ、と音をたててかすめた。次の瞬間には、一本の矢が、楼閣の柱に鋭く突き刺さっていた。

「何をする!」

カン・ムの腕を払いのけ、持っていた弓を放り投げたジェシンは、真っ直ぐにインスを見据え、ずかずかと歩いてきた。

「気分はどうだ?掌議さんよ」
「………何の真似だ」
「人の命を弄ぶな」

ジェシンは人差し指を立て、インスの頭をとん、と突いた。

「やられる側の気分を、しっかりここに刻んどけ。………さもなきゃ」

今度はインスの心臓を握り潰すかのように、その胸元を手のひらで打つ。

「次はここに刻んでやる」





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あまるですどうもこんにちは。

いよいよ今年も押し迫ってまいりましたね~。皆さんちではお正月の準備は進んでますか?
ウチの会社は上司が揃いも揃って下戸です。なので、忘年会といえどちっとも忘れられないという………。
しかし泥酔した部下のアホッぷりに素面で付き合えるのもそれはそれで凄いと思うが(^^ゞ

そういえば紅白で何歌うんでしょ、東方神起。できればうぇーじゃなくてすっぱすたーかBUT希望なんだけど、時勢を考えると Buck to Tomorrow もアリかなぁなんて。あーもう何でもいいや。
とりあえず早く正月休みが欲しい~







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2011/12/22 Thu. 10:50 [edit]

category: 第五話

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2011-12
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