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第五話 1 秘密 

キム・ユンシクをここまで運んできたムン・ジェシンの話によれば、弓場で標的にされたが矢にあたりはしなかったというから、外傷の心配はない。顔が紙のように白くなっているところを見ると、恐らくは貧血を起こしたのだろう。

成均館の学生ともあろうものが芸人の真似事とは呆れたものだ、とヤギョンは深い息をつくとユンシクの手を取り、脈診を始めた。

(………?)

彼は眉を寄せると、もう一度目を閉じ、意識を集中させた。反対側の手を取り、そちらも診る。確かに貧血の症状だが、これは。

ヤギョンはにわかに自分の診断に確信が持てなくなり、立ち上がってユンシクの襟元を広げた。普段はあまりしないことだが、手首の寸口だけでなく頸動脈を診ようと思ったのだ。と、手の甲に何か硬いものが触れた。ユンシクが懐中に忍ばせていたものらしい。取り出して見ると、それは女性だけが持つ守り刀───細かな彫りの施された、小さな銀粧刀だった。
ヤギョンの胸に、衝撃が走る。

「キム・ユンシク。君は………」

彼は全てを理解した。



*   *   *



薬房から出てきたチョン博士の表情は険しかった。ユンシクの容体を尋ねようとしたソンジュンとジェシンが、揃って言葉を失う。

「皆、戻りなさい」

チョン博士はそこで待っていた儒生たちを見渡してそう言った。薬房の前庭には、他にも東斎の仲間数人がユンシクを心配して集まってきていた。
ドヒョンが、不満気な声を漏らす。

「そんな、ちょっと様子を見るだけでも………」
「いいから戻れと言ってる!」

博士のいつになく強い口調に、その場にいた者たちは皆、しんと静まり返った。

「キム・ユンシクは安静が必要だ。許可するまで誰もここに入ることはまかりならん。よいな」

承知しました、と傍らに控えていた書吏が低頭した。
博士が薬房に戻るやいなや、ジェシンは憤怒に頬を歪め、ヘウォンの背負っていた弓矢を乱暴に引き抜いた。それと察したソンジュンがすかさず、彼の行く手を阻んだ。

「掌議に仕返しするつもりですか?」

ジェシンがソンジュンを睨み返す。邪魔するならお前から片付けてやると言わんばかりの形相だ。

「お前は?同じ老論だからって庇い立てするつもりか?」

ソンジュンはまさか、と言った。

「原因は僕です。この件は………僕が解決します」

ジェシンは思わず息を呑んだ。言葉は静かだが、ソンジュンの目には、ジェシンですらも戦慄を覚えるほどの冷たい殺気が宿っていた。


*   *   *


「誰も薬房に入れるなって?」

人けの途絶えた明倫堂。耳敏いのは相変わらずだ。話を聞きつけたヨンハが色めき立った様子で、昼寝を決め込んでいたジェシンをつついた。

「なのに、恵民署〈ヘミンソ〉から医者も呼ばなかった、と。───何故だ?」

ぱちん、と扇を鳴らして、ヨンハは窓際に寝転がっているジェシンの顔を覗き込んだ。

「気にならないか?テムルに何があったか」
「テムル?」
「キム・ユンシクのことだよ。あのチョソンが認めた大物〈テムル〉を持ってる。だからテムル」

バカ言え、とジェシンは鼻で笑った。あの女みたいな可愛い顔にでかい一物?

抱え上げたユンシクは、一瞬戸惑うほど軽くて、柔らかだった。血の気を失っていたせいもあるだろうが、間近で見た肌は透き通るほどに白く、ジェシンはそのせいで酷く不安になったのだ。
こいつはもとから持病でもあったんじゃないか、と。

だから思わず、あんな似合わない真似をしてしまったのだ。
この俺が、男を抱きかかえて薬房まで運んで、その上、様子がわかるまでアホ面下げて外で待ってるなんて。
女子供ならいざ知らず、男相手に。しかもそいつが大物?あり得ない。

「まさしくだ。あの顔に似合わず大物とは。奴にはきっと何か秘密がある。人に知られてはいけない、すごく危険で、恐ろしい秘密が」

ジェシンの心を読んだかのように、ヨンハが言った。何かくだらない遊びを思いついたときの、あの顔だ。

完全に面白がってやがる。

ジェシンは目を閉じ、寝返りを打ってヨンハに背を向けた。

少しだけ暑さのとれてきた風が、窓からするりと入ってきてジェシンの髪を揺らした。






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2011/12/21 Wed. 15:06 [edit]

category: 第五話

thread: 二次創作:小説 - janre: 小説・文学

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第五話 2 罪 

崩折れるように、ユニはその場に膝をついた。

「お許しください」
「女の身で成均館に入っておきながら、許しを請うと?」

チョン博士の言葉が、冷たくユニの胸を刺した。

「目的は何だ?何のために成均館に紛れ込んだのだ」
「生き延びるためです。私は、ただ、生きたかっただけです。母と病気の弟を養わねばならず、仕事で科挙の試験場へ行ったばかりに、そのまま………。本当です。信じてください、先生!」

顔を上げて、博士を見た。チョン博士の表情は一層険しく、ユニへの不信感に満ちている。

「女を弟子にした覚えはない。弁解や言い訳をする愚か者を弟子にした覚えもない。陛下を侮り、道理に背いたお前とお前の家族は、死をもって罪を償うことになるだろう」

頭から冷水を浴びせられたように、ユニは凍りついた。死罪───!お母様やユンシクまでもが?
全身が、がたがたと震えだした。

「家族には何の罪もありません!罪を問うのは、どうか私だけにしてください。どんな罰も受けます!ですから」
「すべての原因が、母親と弟にあると言ったのはお前だ。そんな真似をさせた家族が、許されると思うのか」

ユニは はっとして言葉を飲み込んだ。博士の厳しい声が、追い打ちをかける。

「分かったか。弁解や言い訳では何も解決しない。戻って指示を待て。それまでは誰にも真実を知られてはならん。これ以上罪を重ねないためだ。───よいな」


*   *   *


「キム・ユンシクってのは、妙なやつだよな。なんで、みんなして奴を守ろうとするんだ?」

丕闡堂の弓場では、ビョンチュンが弓を選びながら分厚い唇を尖らせていた。

「だよな。老論と少論が力を合わせて、なんてさ。あり得ないよな」

背後のインスの顔色を伺いながら、コボンが言う。インスはフン、と鼻先で笑って、弓に矢をつがえた。

「老論と少論の結束か。王の目指す蕩平〈タンピョン〉そのものじゃないか。キム・ユンシクはどうやら、王より上手のようだ」

的に向け、弓を引き絞ったそのとき。

「あなたは卑怯だ!」

そう叫んで、足音高く西斎の射台に上がってきた男がいた。イ・ソンジュンである。
彼は弓を構えるインスの真横に立つと、怒気を露わにして、言った。

「標的にするなら、キム・ユンシクではなく、僕を狙うべきでしょう」

インスは弓を下ろすと、ソンジュンに向き直った。

「これは最後通告だ。西斎に来い、イ・ソンジュン。そうすれば、お前を下級生の長である下色掌〈ハセクチャン〉にしてやる。望めば、次期掌議に推薦してやってもいい」

結局そういうことか。ソンジュンはインスの執念深さに半ば呆れた。
この男は、権力欲の塊なのだ。強大な権力を持つ者は、それを崩そうとする僅かな綻びを決して許さない。蟻が通る程の小さな穴が、やがては築いてきたものを一瞬にして決壊させる要因となることを、よく知っているのだ。そして彼の権力が、老論という土台の上に成り立っていることも。
インスにとって自分は、老論という堅牢な土台を脅かす蟻だ。穴を開けられる前にこちら側に引き入れるのが懸命だと、彼は本能的に悟っているのだ。

「断れば、どうなりますか」
「だから貴様は青いというんだ。お前が西斎に移らないせいで、老論、少論、南人の蕩平組ができてしまったことがわからんか」

偏なく党なく 王道蕩蕩たり 党なく偏なく 王道平平たり───。『書経』の一節だ。
蕩平策は、所属する党派に関係なく、官吏登用の機会を平等に与えようと先王英祖が提唱、現国王正祖が継承して推し進めている政策である。成均館の構内に、英祖が建てた蕩平碑閣があることからも、激化する派閥闘争の中、王が並々ならぬ熱意を持ってこの政策を打ち出していたことがわかる。

「蕩平策は………間違いだと?」
「蕩平?党派を超えた結束か」

ソンジュンの問いに、インスは声を上げて笑った。

「そんな戯言を、私は信じてはいない。蕩平策は少論と南人を登用し、味方につけ、我々老論を王宮から追い出すための王の方便に過ぎん。大射礼でお前たちの組が優勝すれば、お前は官僚たちの前で蕩平を支持し、王の側につくことになる」

インスは弓につがえた矢の切っ先を、ひたとソンジュンに向けた。

「老論どころか、父親に矢を向けることになるのだ。………それでもいいのか?」

なるほど、とソンジュンは口の端を引いた。だがその目は、少しも笑っていなかった。

「僕は今まで、大射礼で僕たちが優勝することの意味を考えもしませんでしたが………掌議のお陰で、よくわかりました」

インスを見据え、彼はきっぱりと言った。

「僕らは優勝します。必ず」

ぴくりとインスの眉が引き攣る。

「何だと?」
「陛下の蕩平策が戯言なのか、それとも、掌議が独断に陥り権力欲に溺れているだけなのか、優勝すればわかるはずですから」

面白い、とインスは不敵に笑った。

「なら、やってみるがいい。身をもって学べば、忘れることもないからな」

風が、強くなった。射台に張られた天幕が、ばたばたと音をたててはためく。
その下で、ソンジュンとインスは睨み合ったまま、微動だにしなかった。


*   *   *


テムルの秘密だとかなんとか、妙なことを言い出したヨンハのせいか、ジェシンは一人になっても眠ることができなかった。
明倫堂の床に寝そべったままぼんやりと天井を眺めていると、入り口の扉が静かに開き、誰かが入ってくる気配がした。

ったく、自習なら尊経閣でやれよ。

縄張りを犯された獣のごとく眉間に皺を寄せたジェシンだったが、文机の前にうずくまって膝を抱えているのがユンシクだと分かると、思わず身を起こした。
しかも、何だか様子がおかしい。

───もしかして、泣いてるのか?

小さな肩が、震えていた。声を押し殺してはいるが、時折しゃくり上げるような息遣いが聞こえてくる。
放っておくべきだろうか。いやしかし。
迷っていると、ふいに、ユンシクが顔を上げてこちらを見た。顔中、涙でべしょべしょだ。ジェシンはうろたえて、つい目を逸らしてしまった。
誰もいないと思っていたら先客がいたのだ。気まずいのはさすがに向こうも同じだったらしい。ユンシクは顔を背けると、慌てて涙を拭った。

「一応は、男なんだな。涙は見せたくないのか」

言ってしまってから、ジェシンは心の中で舌打ちした。なんでこんな間抜けな台詞しか出てこない?
立ち上がって出ていこうとしたユンシクの肩を掴み、引き止めた。

「いろよ。俺が出てくから」

黙ったまま立ち竦んでいるユンシクを追い越して、ジェシンは扉に手を掛けた。

「おい、テムル。泣くならもっと豪快に泣けよ。………男だろ」

誰も自分に構うなと、たった一人で声を殺して、小さく蹲って。あんな泣き方は、見てる方が辛くなる。
ジェシンはユンシクと目を合わせることができないまま、明倫堂を出た。

薄暗い室内から外に出ると、眩しい光がジェシンの目を刺した。
頬を濡らしていた、ユンシクの涙。見たのは一瞬だが、ジェシンの脳裏には鮮明に焼き付いていた。
一旦は治まりかけていた怒りが、またふつふつと沸き起こってくる。

あの野郎、ただじゃおかねぇ。

丕闡堂へと向かう彼の足取りは、次第に速くなっていった。



「あいつ、夢を見てやがる。優勝なんかできるもんか。弓の名手の掌議がおられるのに」
「イ・ソンジュンがどう頑張っても、優勝なんかできっこないですよ」

弓場を見渡す楼閣に上がりながら、ビョンチュンとコボンがへつらうような笑みを浮かべる。
その先頭を歩いていたインスの鼻先を、何かがひゅっ、と音をたててかすめた。次の瞬間には、一本の矢が、楼閣の柱に鋭く突き刺さっていた。

「何をする!」

カン・ムの腕を払いのけ、持っていた弓を放り投げたジェシンは、真っ直ぐにインスを見据え、ずかずかと歩いてきた。

「気分はどうだ?掌議さんよ」
「………何の真似だ」
「人の命を弄ぶな」

ジェシンは人差し指を立て、インスの頭をとん、と突いた。

「やられる側の気分を、しっかりここに刻んどけ。………さもなきゃ」

今度はインスの心臓を握り潰すかのように、その胸元を手のひらで打つ。

「次はここに刻んでやる」





***************************************************
あまるですどうもこんにちは。

いよいよ今年も押し迫ってまいりましたね~。皆さんちではお正月の準備は進んでますか?
ウチの会社は上司が揃いも揃って下戸です。なので、忘年会といえどちっとも忘れられないという………。
しかし泥酔した部下のアホッぷりに素面で付き合えるのもそれはそれで凄いと思うが(^^ゞ

そういえば紅白で何歌うんでしょ、東方神起。できればうぇーじゃなくてすっぱすたーかBUT希望なんだけど、時勢を考えると Buck to Tomorrow もアリかなぁなんて。あーもう何でもいいや。
とりあえず早く正月休みが欲しい~







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2011/12/22 Thu. 10:50 [edit]

category: 第五話

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第五話 3 遠い過去 

書架の間を漂うように歩きながら、大したものはないわね、とヒョウンは唇を尖らせた。
昼下がりの貰冊房。
暇を持て余し、下女のポドゥルを連れてやってきたものの、今日はさほど収穫がなかったようである。つまらなさそうな表情は、屋敷を出るときから少しも晴れていない。

おいたわしいお嬢様、とポドゥルはまた胸を傷めた。
ヒョウンの不機嫌の原因は、貰冊房の品揃えのせいではないことは明白だ。
新榜礼以来、何の音沙汰もない左議政の若様に、いい加減痺れを切らしているのである。
まったく、いいとこの坊ちゃんてのはこれだから、とポドゥルは溜息をつく。
引く手あまたなものだから、何の罪悪感も無く平気で女を待たせる。あんなお偉い方でなければ、耳を引っ張って引き摺ってきてやりたいところだ。

「全部お兄様のせいよ」

唐突に、ヒョウンが言った。

「お兄様を気にして、ソンジュン様は私を訪ねてこられずにいるのよ。あれ以来ずっと、気を揉んでおられるに違いないわ。私みたいに」

恋する乙女は、相手の不誠実を決して見ようとしない。架空の恋愛小説の世界にどっぷり嵌っているヒョウンであれば尚更だ。
ポドゥルは本の束を抱え直すと、女主人の後ろにぴたりとくっついて、言った。

「おやめになった方がよろしいのでは?坊ちゃんが怖くてお嬢様をこんなに待たせるなんて、そんな男、器も知れてますよ」

振り返ったヒョウンは、目をきりきりと釣り上げてポドゥルを見た。

「怖いんじゃないわ。お兄様のあの性格だもの、私に被害が及ぶかと心配して、慎重になってるだけよ。何も知らないくせに!」

お前に愛の何がわかるの、とヒョウンはぷいとそっぽを向いた。

「毎度ありがとうございます、お嬢様」

めぼしいものが無いといいつつ、大衆小説の類をどっさりと買い込んだヒョウンに、貰冊房の店主、ファンは上機嫌だ。積み上げられた本の山に、そおっと一冊、追加する。

「ちょっと、そんな本は頼んでないわよ」

ファンはにんまりと笑みを浮かべ、赤い表紙のその本を意味ありげに撫でた。

「これは、お得意様だけに差し上げている特別なものです。世間の誰もが涙したという、感動の恋愛超大作!」
「───あら」

ヒョウンの眉がぴくりと反応した。

「官僚の息子と、貧しくも美しい侍女の、許されぬ愛!」
「まあ………」
「しかし実は二人は異母兄妹!」
「はあぁ!」
「その上侍女は不治の病に………」
「ああ………」
「涙涙の一大叙事詩です!」
「なんてこと!」

またノセられてる。
ファンの辻芸人ばりの講釈には毎度辟易させられるが、これでお嬢様の退屈が紛れるなら、ポドゥルにとってはむしろありがたい。
ファンは芝居がかった仕草で両手を合わせ、天を仰いだ。

「ああどうか、愛しあうことをお許しください~」
「それで?」

ヒョウンが身を乗り出し、期待のこもった眼差しでファンを見た。

「はい?」
「二人は、最後は結ばれるの?」
「ま………まあ、気持ちが通じ合ったから結ばれたとも言えますが、だからといって結婚できるわけじゃないから、結ばれてないとも………」

途端に興味を失ったのか、ヒョウンはたちまちもとの不機嫌な顔に戻った。

「叶ってこその愛でしょ!結局別れるのに苦労させられるなんて、そんなの納得できないわ!」
「はあ………。難しいお方だ」

すごすごと“特別進呈本”を戻すファン。苦情ついでにとでもいうのか、ヒョウンが思い出したように言った。

「ところで、あの恋文のことだけど。どうして何の連絡もないの?成均館随一の文章家だって言ってなかった?」

そうそうそれそれ、とファンは酸っぱいものでも食べたように鼻に皺を寄せ、言った。

「それどころじゃないんですよ!今成均館は大騒ぎなんですから!」
「どうして?」

ひゅーん、と弓を射る真似をしてみせる。

「大射礼があるんです!」
「………大射礼?」

ヒョウンのぱっちりとした目が、更に一回りほど大きく見開かれた。

*   *   *

その晩。ソンジュンはユンシクを探して、成均館のあちこちを歩き回っていた。
尊経閣、進士食堂、中二房。
だがどこにも、ユンシクの姿はない。
薬房を出た後、いったい何処へ行ったのか。だいたいどうして僕はいつも、こうして彼を探し回る羽目になるのだろう。
少しばかり理不尽な思いを抱きつつ、明倫堂の前庭まで来たとき。
丁度、扉を開けて出てきたユンシクを、彼はようやく見つけたのだった。

咄嗟には言葉が出なかった。ユンシクの頬にはっきりと残る、涙の跡を見たからだ。

「………大丈夫か?」

どうにか、そう声を掛けた。ユンシクの涙に、というよりも、自分が激しく動揺していることにソンジュンは戸惑っていた。

「具合は………もういいのか?」

ソンジュンと目を合わせぬまま、ユンシクは黙って頷いた。力のない足取りで東斎へと戻っていく後ろ姿は、いつもよりずっとか細く見え、普段の闊達な彼とは別人のようだ。

ソンジュンにある一つの決意をさせるには、それだけで充分だった。



雑務を終え、正録庁を出たヤギョンの前にいきなり、一冊の帳簿がぬっと突き出された。

「キム・ユンシクの病名は何です?」

そう言って柱の影から姿を表したのは、ク・ヨンハだった。彼は師の正面に立ち一礼すると、まるで審問官のような口ぶりで切り出した。

「安静が必要だからと、薬房に蟻一匹近寄らせなかったとか。だが薬も処方せず、医者も呼ばなかった。───そこまでは理解できます。“薬も医者も必要ない、軽い症状だった”と解釈すれば、です。しかし」

とん、と開いた帳簿の頁を軽く叩く。

「診療記録も残されていないとなると話は別だ。………何故でしょう?」

ヤギョンは微笑んだ。ユ博士が前に、彼を見ていると苛々する、と言っていたが、その理由がよくわかったからだ。
人の何倍も洞察力に優れ、論理的思考力もあるというのに、何故それをもっといい方向に使おうとせず、露悪的行動にばかり走ろうとするのか。
一見ちゃらんぽらんな言動は彼の煌びやかな服と同様、単なる見せかけか───では、何を隠すために?

「面白い。続けてみなさい」

興味を惹かれるまま、ヤギョンは言った。

「理由として考えられるのは二つです。一つ。博士チョン・ヤギョンの職務怠慢。二つ。キム・ユンシクの病状、あるいは身体が、記録にも残せないような………たとえば、成均館で修学できないようなものだった。このどちらかだと」
「何が言いたい?」
「ただ真実を知りたいという、学士故の情熱です」

やはりな、とヤギョンは自らの懸念が既に現実となっていることを知った。この成均館に、二人目、三人目のク・ヨンハが出てこないことを願うばかりだ。

「情熱には責任も伴うということは承知しているか」

はい?と師を見返す目には、よく見ると確かに深い知性を感じる。だがまだまだ若い。

「成均館の診療記録は、学生が私的に閲覧のできない極秘記録にあたる。このことが漏れたら、君は某叩き10回の罰を受けることになるだろう」

途端に、ヨンハの表情が凍りついた。

「あの………お師匠様?」
「そう、私は師匠だ。弟子の過ちは、見逃してやらんとな」

ヨンハは、さすがは先生です、と低頭し、診療簿を恭しく差し出した。


*   *   *


大成殿の一角。蝋燭の灯りの中、ぼんやりと浮かび上がる位牌の列に恩師の名を見つけたヤギョンは、そこに記された文字をゆっくりと指で追った。

「生を捨て義を取る………」

師匠にはまだまだ追いつけぬようだ、とヤギョンは静かに息を吐く。

金縢之詞も、ユニのことも、未熟な私にはあまりに難しい課題です、先生───。

ヤギョンの脳裏に、古い記憶が鮮明に蘇ってくる。
あの日は確か、雪が舞っていた。ひどく冷える晩で、師匠宅を訪ねるのに慌てて襟巻きを取りに戻ったことを覚えている。

「天の将に大任を是の人に降さんとするや」
「是の人に降さんとするや」

庭先から屋敷に入ると、聞き慣れた師の声と、それを追いかける幼い声が二つ、ヤギョンの耳に届いた。
一つは、父と共に障子に影を映している息子、ユンシクのものだろう。そしてもう一つは、部屋の前の縁側にうずくまっている少女のものであるらしい。

「天が将来ある者に大事を任せる時、必ず先ず其の心志を苦しめ………」

そっと近づくと、少女は障子の向こうから聞こえてくる声を復唱しながら、驚くべき速さでそれを紙に写し取っているのだった。床に敷いた紙は、細かい文字でびっしりと埋め尽くされている。手がかじかむのか、時折小さな指先に はあっと白い息を吹きかけて温めているのがいじらしい。

「ここで何をしてるんだい?」

声を掛けると、少女は ぱっと顔を上げてこちらを見た。利発そうな目元に、確かに師匠に似た面差しがあった。
少女は指先を口元にあて、「しぃっ!」と言うと、また凍える指先を温めながら筆を走らせる。

「寒いなら中でやればいいのに」
「母が、女にとって学問は毒だからダメだと言うんです」

こんな小さな少女が口にした“女”という言葉に、ヤギョンは思わず微笑んだ。

「なら、やめればいい。そうしたら、凍えなくてすむ」
「そんなの、変です。どうして私の意思は聞かずに、母に従えとおっしゃるのですか?私には、自分の意思があります」

どうやらこの子が師に似ているのは面差しだけではないようだ、とヤギョンは密かに感心する。

「君が、とても辛そうだからだよ」
「平気です。お陰で、筆の速さでは誰にも負けません」

そう言って、少女はにっこりと笑った。こちらは歳相応の、何とも可愛らしい笑顔だった。

「君の名前は?」

少女が返事をしかけたそのとき。

「ユニ!お前って子はまた………!」

子を叱りつける母の声が、それを遮った。キム博士の奥方である。少女は慌ててヤギョンの背に隠れた。キム夫人はヤギョンに気づくと、しとやかに頭を下げた。夫の弟子の前で声を荒らげたことが恥ずかしかったのだろう。両班の女性らしく、そのまま静かに部屋に戻っていった。

「キム・ユニ」

母の姿が見えなくなると、ヤギョンの背中で少女が言った。

「キム・ユニです。私の名前」

白い息が、まだあどけない顔に、舞った。





********************************************************
あまるですどうもこんにちは。

今年最後の更新です~。よかった間に合った(^^ゞ
私の個人的な2011年は、ブログを始めたことも含めていろいろありましたが、とりあえずよく乗り切ったなというか、そんな一年でした。東北の被災者の皆さんには足元にも及びませんが(ってさっきまでフジテレビの特集見てて実感…)まあ自分なりには頑張ったかなと。
来年も胸張ってそう言える年にしたいものです。

と、年の瀬なので真面目に締めくくってみました。デヘっ。←持続力なし
まだほんの半年足らずですが、どうにかこのブログを続けてるのも、温かい応援のコメや拍手をくださる皆さんのお陰です~。相変わらず至らぬワタクシですが、来年もよろしくお願いします(^^)
でわでわ、皆さんもよいお年を~




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2011/12/30 Fri. 22:54 [edit]

category: 第五話

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第五話 4 特訓 

ヤギョンは一人、東斎の前庭を歩きながら、灯りの消えた中二房に目をやった。
恩師キム・スンホン博士の娘、ユニ。
幼かったあの少女は、賢く、美しい娘に成長した。だが先見の明のあった師といえど、まさか想像だにしなかっただろう。我が娘が、男二人と同じ部屋で寝起きを共にしようとは。

どうしようもない状況ではあったのだろう、と思う。だがこれが正しいことだとは、ヤギョンにはどうしても思えない。
ただでさえ厳しい成均館での寄宿舎生活だ。講義や試験についていけず、脱落する者も少なくない。その上こんな秘密を抱え、毎晩、ろくに眠れもしなかっただろう。そんな神経をすり減らすような生活を、いつまでも続けられるはずがない。

中二房は静まり返っていて、物音一つ聞こえてはこない。だがこの障子の向こう側で、恩師の娘が一人、家族を想い、我が身を想い、寝付けずにいる。
彼女を追い込んだのは自分だとはいえ、ヤギョンの胸は痛んだ。

だが彼には知る由もなかった。
その晩、中二房の寄宿生たち───ユニ、ソンジュン、ジェシンの三人が三人とも、それぞれの想いを抱えて眠れずにいたことを。



人定の鐘が鳴ったのは、もう随分前だった。夜も更けたというのに、僅かな灯りを頼りに針仕事をしている母の手は、少しも休む気配がない。ユンシクは読んでいた本を閉じると、そっと母に声をかけた。

「もう休んだら?姉上のお陰で、薬代の心配もいらなくなったんだし………姉さんが見たら、また心配するよ」

母はつややかな藤色の反物から目を上げることなく、微笑んだ。

「おかしなものよね。娘が着ると思うと、かすんでた目も冴えてくる……疲れもね、感じないんだよ、本当に」
「それ、姉さんの服だったんだ」

どうりで、とユンシクは納得した。
針を動かす母の表情が、どことなく幸せそうに見えたのだ。

「考えてみたら、あの子には、一度もまともな服を着せてやれなかった。花盛りの年頃に、着てる服といったら………」

母はまた、自分を責めているのだろう。近頃ではめったに見なかった明るい顔が、いつものように沈み込むのを察して、ユンシクは母の手元を覗き込んだ。

「わあ、きれいな色だね。きっと、姉さんによく似合うよ」

女人の衣らしく華やかではあるが、春の田に咲く蓮華草のような、慎ましやかな薄紫。
そこらの妓生なんかよりずっときれいな姉には、よく映えるだろう。

ユンシクの言葉に、母は嬉しそうに目元に皺を寄せた。


*   *   *


翌日。
成均館の学生名簿を指で追いながら、王正祖は驚きを隠せない様子で聞き返した。

「まことに、あの緑鬢紅顔───キム・ユンシクが、キム・スンホンの息子なのか?」

黙ったまま答えに窮しているヤギョンに、領議政チェ・ジェゴンが眉をひそめ、早く答えよと促す。
キム・ユンシクがキム・スンホンの息子であることは間違いないが、あの緑鬢紅顔がそうかと問われると、違う。
さようにございます、と答えはしたものの、王に嘘をついているという事実はヤギョンを人知れず苦しめた。

「顔に似合わず、大した度胸だと思ったが。血は争えんな。あれは、父親譲りだったか」

王は声を上げて笑うと、言った。

「それは是非とも会わねば。父親が守り抜いた金縢之詞をその息子が探す。これも何かの因縁、いや、天命というべきかな」
「それはなりません」

即座に異を唱えたヤギョンを、王の目が眼鏡の下から意外そうに見上げた。

「ならぬと?それはどういうことだ」
「金縢之詞の捜索は、国を左右する重大任務です。キム・ユンシクはまだ幼い学生に過ぎません」
「では、そなたが助けてやればよい」
「それに、何よりも」

ヤギョンの背を、冷や汗がつたう。彼は落ち着きなく目をしばたかせながら、続けた。

「何よりも、本人は父親の過去を知りません」

王は深く息を吐き出すと、眼鏡を外した。王が黙っていたのは、実際にはほんの短い間だっただろう。だが、ヤギョンにとっては永遠とも思える時間だった。
やがて王は立ち上がると、言った。

「そなたはこれまで、一度も余に反対したことがない。故に今回は黙って、忠言に従うこととしよう」

ヤギョンは心から恐れ入って、深々と頭を下げた。

「それにしても、これはますます楽しみになってきたな。大射礼まで待ちきれぬぞ」

王の、まるで少年のように生き生きとした笑顔とは裏腹に、ヤギョンの胸中は複雑だった。


*   *   *

同じ頃、成均館。

「急いで練習だ。大射礼までもう間がない」

ソンジュンがユニに弓を差し出し、いつにも増して厳しい顔つきで、言った。
見かねたヘウォンが割って入る。

「おい、ユンシクはまだ具合が………」
「治っていないなら、チョン博士も帰らせはしない」

そうだろう?とソンジュンは確かめるようにユニを見た。
ユニにとっては、そもそも病気だったわけではないのだから、治るも治らないもない。ただ、女であることをチョン博士に知られてしまった、そのことに対する精神的な打撃が大きすぎて、大射礼だろうが何だろうが、考える余裕がないのだ。

「お前、そんなに優勝したいのかよ」
「やめとけ。テムルを見ろ。今にも死にそうな顔してるぞ」

ウタクとドヒョンが口々にユニを擁護する言葉も、彼女の耳には入らない。頭の中に響くのはチョン博士の冷え冷えとした声だけだ。

『誰にも知られてはならん』

今は、成均館の学生としてやるべきことをやらなければ。
誰にも、疑われないように。

ユニはソンジュンを見返した。

「わかった。やるよ」


特訓が始まった。わかっていたことだが、弓場のソンジュンは、ユニが初心者だからといって決して甘い顔はしなかった。
ユニに立ち方と弓の握り方を教えた後は、傍らにじっと立ち、満足に矢をつがえることすらできないユニに、何度も何度も同じ動作を繰り返させる。
弦を引き絞ることができずに、つがえては落ち、つがえては落ちる矢。
その度に、「もう一度!」と針を刺すようなソンジュンの鋭い声が、丕闡堂に響いた。

弓懸に通した親指が、擦れて酷く痛い。科挙を受け、王に成均館に入れと命じられてから今までのことが、ユニの脳裏に次々と浮かんでは消える。

『僕らの名前に、泥を塗るなよ』

そう言って、差し出した自分の号牌と一緒にユニの手をぎゅっと握りしめた、ユンシクの笑顔。
新榜礼の夜、課題を切り抜けた自分にヨリム先輩が手渡してくれた、濃紺の儒生服。
初めての講義の日に体験したのは、難解な講釈ではなく、不思議な奇術だった。だがそこで、ユニは論語の面白さと奥深さを改めて知ったのだ。

全て、罪だというのだろうか?死をもって償うべき罪だと───。

「もう一度!」

ソンジュンの声が、ユニの気持ちに追い打ちをかける。この矢はユニ自身だ。前に飛ばすことすらできない悔しさに、堪えようとしても涙が滲んでくる。
知らなかった。的が、こんなに遠いものだったなんて。

「あれじゃイジメだ」

少し離れた射台から二人を見ていたヘウォンが、頭を振った。

「何が何でも優勝したいんだろ。自分は万能だと王に示したいんだ」

色眼鏡をずり上げてウタクが言うと、凝り固まった肩を回しながら、ドヒョンが同情のこもった眼差しでユニを見遣る。

「酷いよな、まったく。血も涙もない野郎だよ」
「もう一度!」

弓場に容赦無く飛ぶソンジュンの声を聞いていたのは、彼ら三人だけではなかった。
塀を隔てた、大成殿前庭の大銀杏の上。
昨夜の睡眠不足を補うつもりが、結局ここでも眠れずに、ジェシンは薄目を開けた。

吹く風は、丕闡堂の二人の様子を彼に伝えつつ、青々とした銀杏の葉を涼しげに揺らしていった。




*************************************************************

あまるですあけましておめでとうございます(^^)
新年イッパツ目の更新です~。ワタシにしては早い!エライぞ!と自分で言ってみる。ビバ正月休み。
我が家は毎年、大晦日に一日がかりでがめ煮やら豚の角煮やら作りおきできるオカズをどっさり作っといて正月三が日はサボる、という、目的だけは実に正しいおせち料理なんですが。
食べざかり男子は侮れん。ほぼ一日半で食い尽くしやがった……(涙)
くそぅ、明日は三食雑煮じゃあ!と思ったら白菜も切れてた……やっぱ買い物行かなあかんのか。うう。←すっかり出不精

そんなわけで(?)本年もユチョにトンにソンスに励みますので(笑)よろしくお願いします~





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2012/01/03 Tue. 03:19 [edit]

category: 第五話

thread: 二次創作:小説 - janre: 小説・文学

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第五話 5 反発 

「コロの奴は成均館の行事に参加するはずはないし、テムルは弓も握ったことがない初心者。結果は火を見るより明らかです」

西斎。インスの部屋では、部屋の主が黙々と弓の手入れをする横で、ビョンチュンが涙ぐましいほどの愛想笑いを浮かべている。

「何か戦略はあるんですか?掌議」

コボンの言う“戦略”とは、この場合大射礼で勝つためのものではない。あの生意気なイ・ソンジュンの鼻っ柱をへし折ってやるための戦略だ。

「───今回は、奴の望みどおりにしてやるつもりだ」

螺鈿細工の施された弓を丁寧に拭き上げながら、インスが言う。

「ええっ?まさか、奴らを優勝させようっていうんですか?」

思わず声を上げたコボンを、インスが手を止め、ちらりと一瞥する。またバカなことを、とビョンチュンがコボンの頭をはたいた。

「も、もちろん、そんなことはないとわかってますよ、ハイ」
「あいつの望みどおり、身をもって学ばせてやろうということだ。お前たちも、その準備だけはしておけ」

承知しました、とビョンチュンとコボンが頷き、互いの腕をがっちりと交差させた。
その横で、カン・ムがきりりと弓の弦を引き絞り、具合を確かめる。その目には、静かだが並々ならぬ闘志が漲っているのがわかる。
彼らを見遣りつつ、インスは薄く笑った。



近づく大射礼に向かい、動き始めたのは儒生たちばかりではなかった。大司成は王が来館するというので、例によって大わらわだ。王に出す食器にはちり一つ残さぬよう茶母に拭き上げさせ、王が座す椅子もわざわざ職人に言いつけて作らせるほどの念の入れようだった。

そんな大司成が最も拘ったのは、大射礼の華ともいえる妓生たちの選別だった。
普段は女人禁制の成均館だが、こういう行事となると話は別だ。彼女たちの唄や舞は、場を盛り上げるのに欠かせない。もちろん、容姿が美しければ言うことはない、というわけで、チョソンを筆頭に、都でも屈指の妓生を揃える牡丹閣が専属として選ばれた。

大司成は自分の仕事に大満足だ。何せ、牡丹閣からはあのチョソンが直々にお出ましになるというのだ。たとえこの国の王といえど簡単には会えまいといわれるあのチョソンが、である。これも人徳か、と大司成が勘違いしたのは言うまでもない。こうして彼はまた、中央官僚への夢を大きく膨らませたのだった。


「チョソン姐さんたら、すっかり惚れ込んじゃった感じね。あのきれいな学士様に」

お抱えのお針子を早速呼び寄せ、新しい衣装の生地選びに余念のないチョソンを扉の影から盗み見ながら、ソムソムがひっそりと微笑む。

「意地よ」

隣で同じくチョソンを見ていたエンエンが、唇を尖らせて言う。

「新榜礼以来、きれいな学士様から何の音沙汰も無いんだもの。そんなこと、チョソン姐さんには初めての経験じゃなくて?」

エンエンには、あの誇り高いチョソンが男に骨抜きにされることが、面白くないようである。惚れっぽい自分自身は男に振り回されても、チョソンがそうなるのは嫌なのだ。

「何言ってるの。よく見てみなさいな。あれが意地を張ってる顔に見える?」

鏡を覗き込むチョソンの表情は確かに、自尊心や駆け引きとは無縁のものだった。恋しい人に逢える日を待ちわびて、胸をときめかせているうぶな娘そのものだ。

あのチョソン姐さんが。やっぱりあり得ないわ、とエンエンは自分の目が信じられずに、ただ首を振るばかりだった。


*   *   *


いったいもう何度目になるのか、腕は痺れ、指の感覚がなくなってきても、ユニはただの一本も、矢を飛ばすことができないでいた。
簡単にやっているように見えても、男たちは相当な力でもって矢を放っているのだ。しかもそれを的に当てる?
非力な自分には到底無理な芸当に思えた。

ソンジュンは腕を組んだまま、練習を始めた時と寸分違わぬ姿勢でユニの手元を見据えている。
いっそ呆れて、お前には無理だと言ってくれればいいのに、彼はそんな素振りすら見せない。自分の顎からぽたぽたと落ちるのが涙なのか汗なのかも、ユニにはもうわからなかった。

弦を引き絞った。矢じりの先が、ぶるぶる震えている。肩と二の腕の肉が悲鳴を上げているのがわかる。
もう限界だ、と思ったとき、耳元で、バンッ、と何かが破裂するような音がして、ユニは思わず握っていた弓を落としてしまった。
頬に、焼けつくような痛みが走る。弾かれた弦が、ユニの顔を打ったのだ。押さえた手を見ると、血が滲んでいた。

「………もういやだ」

そう口にした瞬間、堰を切ったようにまた涙が溢れ出した。出来ないことが悔しい。だからって子供みたいに泣くのはもっと悔しい。なのに、堪えることができない。

「もういい。やめる」
「まだ始めてもいないだろう」

ソンジュンが静かに言った。
始めてもいない?もう何刻過ぎたかもわからないのに?

「もうたくさんだ。こんなこと、ぼくには無理なんだ」
「よく言えたもんだな、キム・ユンシク。君はまだ、まともに弓すら握れていない。いったいいつまで、借り物みたいに扱う気なんだ。なぜ真っ直ぐに的に向き合おうとしない?」

唇を噛み締めた。自分は汗ひとつかいていない顔で、何を偉そうに。
激しい怒りで、腸どころか、頭の中まで煮え滾った。

「おい、老論」

不意に、そんな声がした。いつからそこにいたのか、ジェシンが、ソンジュンに掴みかからんばかりの勢いでずかずかと射台に上がってきたのだ。

「お前の頭ん中は、どうすれば王に認められるか、それしかねぇのか?出世に権力、そんなもんにしか興味ねぇんだろ」

まさに老論そのものだな、とジェシンは吐き捨てるように言った。

「こいつは弓で殺されかけたんだぞ。怖がってんだろうが!」

ジェシンが、ユニを連れ出そうと腕を掴んだ。すかさず、ソンジュンがそれを阻む。二人に痛いくらいに腕を掴まれ、ユニは顔をしかめた。

「怖いからと逃げてしまっては、二度と弓を握れなくなります!」

睨み合うソンジュンとジェシンの間に、見えない火花が散った。

「立ち向かうしかないんだ、ユンシク。弁解や言い訳では、何も解決しない」

そう言ってユニを見るソンジュンが、薬房でのチョン博士の顔と重なる。ユニの中で、何かが音をたてて弾けた。
掴まれていた腕を思い切り振り払い、ユニはソンジュンを見返した。

「弁解だの言い訳だの、簡単に言うな!ぼくにとっては切実だったんだ。君が、呑気に弓の練習をしてたとき、ぼくはただ生きるのに必死だった。君は、左議政の坊ちゃまのイ・ソンジュン。ぼくは、自慢にもならない南人の家の出で、父の顔さえ覚えていない惨めな───キム・ユンシクなんだ」

他に道があったのなら教えてくれと言いたかった。チョン博士にも、目の前のイ・ソンジュンにも。

「だったら機会を掴め。大射礼で優勝すれば、出仕の道も開ける」
「………つまり、今回もぼくのためだって言いたいのか」

ユニはせせら笑った。いい加減もううんざりだ。哀れみかそれとも篤志家気取りか。この男は、そうまでして優越感に浸りたいのだろうか。

「確かに、君のお陰で人生が変わったよ。君は、自分なら世の中を変えられるって思ってるんだろ?世の中の仕組みなんて何も知らないお坊ちゃんのくせに。出仕?機会を掴め?君にとっては当たり前のことでも、もしぼくにそんな機会があるとしたら、それは───奇跡だ」

そう、天地がひっくり返りでもしない限り、起こり得ない奇跡。
そんなことを望むのは、雀が鳳凰になるのを待つくらい馬鹿げたことだ。それが、どうしてこの男にはわからないんだろう。どうしてキム・ユンシクなんてちっぽけな人間の腕を、無理矢理掴んで引っ張り上げようとするんだろう。

ソンジュンは黙っていた。一言も言い返さず、ただユニを見ていた。その真っ直ぐな眼差しさえもが腹立たしく、ユニは横を向いた。

「判ったら、二度とぼくに偉そうな口をきくな。───絞め殺したくなるから」

言い捨てて、ユニは射台を降りた。弓も、イ・ソンジュンの顔も、見ていたくなかった。

『お前は、ここにいるべき人間じゃない』

飛ばない矢が、頬を打った弓の弦が、遠い的が、ユニを嘲ってそう言っている気がする。
そんなことはわかってる。チョン博士に言われなくても、自分自身が一番よくわかってる。だけど───。

丕闡堂を出る門の前まで来たときだった。突然、ユニの背後でガラガラと何かが崩れ落ちるような音がした。振り返ると、天幕を張るのに立てられていた丸太の支柱が数本、折り重なるようにして倒れている。その下敷きになって、苦しげに顔を歪めている儒生を見た瞬間、ユニは凍りついた。

「ソンジュン!」

近くにいたドヒョンら、数人の儒生たちが血相を変えて駆け寄る。
ユニはその場に立ち尽くしたまま、丸太の下から助け出されるソンジュンを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。






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2012/01/06 Fri. 02:58 [edit]

category: 第五話

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2017-10
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